
←この記事をお気に入りに追加します。あとで読み返せます。Kouです。
メルマガで書いていたんですが、ブログの方がいいと思って、あえてブログで書き直すことにしました。
今日、「他人のせいにしたら楽です」というメルマガを書きました。
これについて、僕は自分の人生の責任を自分でとるという話をしました。
この「責任」について、どうも読み違いをしている人がいるようなので、改めて説明することにします。
「自分のせい」とか、「他人のせい」という表現を絡めたからなんでしょうね(^^;
自分のことに自分で責任をとるというのは、「うまくいかなかったことを自分が悪いと断罪する」ことじゃありません。
全部私のせい、私が悪かったんでしょ、ということじゃないんですよ。
責任をとるというのは、そういうことじゃないんです。
日本では責任をとるというとき、謝るとか、辞職するとか、断罪されるとか、マイナスのことを考えがちです。
「できなかったら死んでお詫びします」
の延長みたいです(^^;
僕が言っている責任をとるというのは、そういうことじゃないんです。
自分で責任をとるというのは、自分で面倒を見るということです。最後まで。
全部自分のせい、自分が悪いと考えると、実は相当に辛い人生になります。
他人のせいにしていくことよりはマシかもしれませんが、何でもかんでも「私が悪い」で生きるのはかなりしんどいですね。
「雨が降った。雨女の私が悪いんだ。」
「お母さんが不機嫌だ。私がいい子じゃないからだ。」
こんな発想で生きていると、当たり前ですが、どんどん暗い子になっていきます。
それは、このブログを読んで、恋愛の勉強をしている女性が目指す女性像とは随分違うものだと思います。
そうじゃなくて、うまくいかなかったら笑い飛ばせばいいと思うのです。
そして自分でフォローする腹づもりでいればいいのです。
「雨が降った。しょうがないね。じゃあ雨用の用意をしよう。」
「お母さんが不機嫌だ。でも私は釣られずに明るくいよう。」
これだけなんです。こんな発想ができたら、かなり楽だと思いませんか。
自分を責め立ててくださいと言っているのではなく、自分で楽にコントロールできるようにする方向に持っていってくださいということなんです。
それは、自分に起きたことを、自分で面倒を見る覚悟を持つのが一番簡単なんです。
この話でも、結構いろんなことにつながると思います。
何か特殊な事情があるからできないというふうに、他人のせいにしないこと。
他人のせいにせず自分のせいにするという意味で、自分を責め立てる必要はないんです。
そんなことをしても何もいいことはありません。
特殊な事情は特殊な事情です。
それはそれで事実として受け入れた上で、自分でどうフォローしていくかを決めればいいんです。誰かのせいにして投げてしまうことが責任放棄であって、実は一番ダメージが大きいんです。
他人のせいにしていくのは、一見楽です。
でも楽なのはそのときだけです。実はその裏では相変わらずダメージを受け続けていて、やればやるほど疲弊していきます。
恋愛でも、彼が悪い、親が悪い、環境が悪い、自分の育ちが悪いという理由で、勝手にさじを投げようとする女性のなんと多いことか。
今年の5月、ある人から突然メールが来ました。
「女性の承認」の解除に関するメールでした。
「購読者が亡くなりましたので解除してください」
というものでした。
僕は驚きました。彼女の妹にあたる人からの連絡でした。了解を頂いたので、この女性のことをブログで紹介したいと思います。
この女性は、まじょらむさんという人で、「女性の承認」が2014年3月に始まった初日の登録してくれた一人でした。
なんとガン闘病中でした。
コメントを検索したら出てくるので、興味があればぜひ覗いてみてください。コメントは積極的に書く方ではなく、12時間レッスンのみに参加しているような感じですが、僕はまじょらむさんとは随分やり合いました(笑)。
「闘病中のまじょらむです」という書き出しがなければ、なかなか闘病中だとは分からないくらいに元気な文面が多いんです。
そして一番驚いたのは、全部に自分で向き合い続けていたことです。
結構な数のメールをもらいましたが、弱気なメールはあるものの、病気のせいでうまく行かないというような話はただの一度も書いてありませんでした。
彼女自身、自分ですべて納得しながら行動していたんだと思います。
恋愛の勉強も、自分で納得して進めていました。恋愛もそうです。実際には相当に恐怖があったはずです。
そういう話も聞きましたが、それでも今の状況でできることを常に考えているような感じでした。
これを、自分で責任をとるというのだと思うのです。
この知らせを受けたのはもう半年か1年くらい前のような気がしますが、実際には数ヶ月しか経っていません。僕の中では、まだ実感がないからかもしれません。
特殊な事情というのなら、彼女は間違いなく特殊な事情を背負っていました。
たとえ苦しい状況にあっても、あなたと全く同じ時代に生きていて、同じ時期に、同じ場所で、同じブログの記事を読んで、恋愛の勉強を楽しんでやっていた女性がいるのです。
どうか、そういう女性がいたということだけでも記憶に置いてください。
僕はこの記事を、まじょらむさんへの記録記事にします。
残念ながらコメントで会話をしたことのある人がいないようですが、まじょらむさんのコメントを読んで知っているという人はいるかもしれませんね。
僕は自分で自分を責め立てることは一切望んでいません。
そんなことはしないでください。
考えてほしいのは、自分のことを自分で最後までフォローし続けることです。
自分の人生がうまくいくかどうかを、自分で決めることです。自分で納得して進めようと思う気持ちをもってもらうことです。
まじょらむさん、お見かけしたことがあります。
それぞれにバックグラウンドがあるわけですが
今回、kouさんに紹介して頂けなかったらわかりませんでした。
こうして、私の人生にも刻まれたこと
きっと、他の方の記憶にも刻まれたこと
それらが、まじょらむさんにとって安らか眠りにつく後押しになればいいなと思いました。
何を言っても、軽く聞こえてしまったら嫌だなぁと思ったのですが
衝撃を受けたことの事実として、私もここに残します。
自分の人生と向き合うこと、それは絶対に楽しいはずですから。
なんか、衝撃です。もちろん人それぞれ色んな人生があるけど… 亡くなられたんですね。なんだろう、うまく全然まとめられないけど わたしはここに来られたこと有難いと思いました。
すごいなぁ…。
自分が病気で危ないとき、私はきっと恋愛の勉強をしようなんて思わない。
死んだあとどうするか、捨てておくものはないか、いっておきたいことはないかとか、そういうことばかり考えます。
前向きなようでいて、前向きじゃない。
死ぬことに前向きなだけで、生きることには前向きじゃない。
死ぬ前に自分がこれからもいきることを想像できるのはすごい。だってほんのわずかな可能性のために時間を無駄にするなんてって思っちゃう(まじょらむさん、ごめんなさい。あなたの時間が無駄だっていってるわけではないです)。
そのわずかな可能性をわずかだってわかっていても、それでもそれを受け入れて生きることを女でいることを楽しんでいたまじょらむさんを尊敬します。
24時間テレビとかでよく見かける感動ドラマとかで闘病記録をやってますが、あんなのよりもずっとずっと感動しました。
そして、私と同じ「恋愛の勉強」をしている女性だから、そのすごさがわかる。めったに「尊敬」なんてしない私がほんとにすごいと思った。
まじょらむさん、ご冥福をお祈りします。
願わくば、天国や来世で素敵な恋ができますように。
Kou様
『人のせいにしない 』≠ 『全部私のせい』 というのは、ネガティヴの反対はポジティヴではないことと一緒ですね〜
責任を持つことと、自分を責めることは違う。
私は結構自分を責める事が多いのですが、それも人に責任を転嫁するのと同じで楽なんですよね。今の自分から変わらなくていいから。でも、なんも変わらせん。何の発展もないんですよね。ツマンナイ。
どんな選択でも、自分が選んだんだから幸せにならんと!って思う事が一番の幸せへの道。彼を好きでいるのも、諦めるのも、恋愛から撤退するのも、とにかく自分で決めて歩めばいいんですよね。
そしたらきっと今の状況とか、まわりとかなんて関係なくなりそう。
わかっているけど、楽な道についつい向かう自分に渇!
知らない方なのに、知人が亡くなったかのような衝撃を受けています。
うまく表現できません。
ただ、人生を全うするって、まじょらむさんがされたような自分で納得して行動するということなのかなと思いました。
素敵な方だったんだろうな。
大切なことを思い出すきっかけをくれたまじょらむさん、彼女のお話をしてくれたkouさん、了解してくださったご家族の方、ありがとうございます。
自分のなかで生まれていた感情が確信に変わりました。
ありのままの自分を受け入れてからしか、自分の人生を歩けない。
今日たまたま久しぶりに聞いた歌の歌詞をかみしめたいと思います。
「オワリはじまり」 かりゆし58 利尻島☆risiri lsland: http://youtu.be/UTuxq6by2pQ
>それはそれで事実として受け入れた上で、自分でどうフォローしていくかを決めればいいんです。誰かのせいにして投げてしまうことが責任放棄であって、実は一番ダメージが大きいんです。
あぁ、そういうことだっだの、と思いました。
私にも 特殊な事情 あります
私も8年 闘病中です。
メンタル面や 子供の頃の暗い記憶
これは闘病しながら
色々な治療を受けて
最近新たに知った特殊な事情が
見つかりました。
本当に特殊過ぎて 詳細をここに書いても 理解は難しいので伏せますが
そんな特殊な影響を受けて生きてきても 最終的には
さぁーて どうしたら影響を受けない様に出来るか
今は 影響をフルに受けてるから
こういう時は 大事な好きな人とは
敢えて関わらない
受けた影響を排除して
防止出来て 良い状態の私を見て貰いたい
ちゃんと自分で責任取る方向に見ています
病気の事は自分で何とか出来るから
あまり人には頼ってはいません
が
それ以前に 色々 間違いなく特殊な
原因を抱えてます
でも 私は それも 何とか出来る
って自分を信じてます
誰かの所為 自分の所為にする前に
必ず お互いに原因があること
けれど だからどうした と考えて
落ち込むより
じゃあ どうしたら良いのかな
とプラス方向に思考を転換させた方が 面白いはず
まじょらむさん、お話は、したこと
なかったけれど、コメントを呼んだこと
あります。
闘病、息子さんのことが、書かれて
いました。
前を向いていらっしゃる様子が
凛としていて、素敵だなぁと感じて
いました。
当たり前なことは、本当は当たり前じゃ
ないのだと、改めて教えていただいた
気持ちです。
毎日を、私も大切にしたい。
せっかく、出会えた主人、子どもたち
だから。
感謝の気持ちで、幸せを作って行きたい
と思います。
ありがとうございました。
まじょらむさん。
「自分で責任をとるというのは、自分で面倒を見るということです。最後まで。」
Kouさんの仰る「責任をとる」の意味は、なんとなく分かってはいたものの、
うまく言葉にできずにいました。
「面倒を見る」だと、より分かりやすくなって好きです。
「うまくいかなかったら笑い飛ばせばいいと思うのです。
そして自分でフォローする腹づもりでいればいいのです。
…自分を責め立ててくださいと言っているのではなく、自分で楽にコントロールできるようにする方向に持っていってくださいということなんです。」
もっと難しく考えていました。
そっかぁ、そういうことですね。
私、自分を責め立てる方向で、考えてしまっていたのかもしれません…。
5月からどなたのことだろうかと気になっていました。
まじょらむさん、コメントを見たら、本当に明るい文面の多い方ですね。
「僕は自分で自分を責め立てることは一切望んでいません。
そんなことはしないでください。
考えてほしいのは、自分のことを自分で最後までフォローし続けることです。
自分の人生がうまくいくかどうかを、自分で決めることです。自分で納得して進めようと思う気持ちをもってもらうことです。」
あ…、今も責め立てそうになっていました。
楽しくないってよく感じてしまっていたから。
はい。
最近同じような境遇の友人を見送りました。
人の悲しむ姿を見るのが嫌いな彼女は、ごく数人以外明かさず 自然治癒療法を選びました。
彼女が亡くなって全貌を知り、余りにもショックでした。
この彼女の選択を悲しいけれど受け止め始めてはいます。それが彼女の希望だった、のですから。
涙がとまりません。
限りあると、まだ大丈夫だと、
家族も、まじょらむさんも希望を持って、時々、不安な気持ちで、毎日を大切に過ごしたのだろうかと思うと、たまりません。
まだ、まだまだ、わたしは甘えている。毎日をやりきらなければ。
上にコメントしたばかりですが、まじょらむさんの書き込みを読ませていただいて、ほんとに彼女のすごさが分かりました。
明るくて、恋愛してる幸せが伝わってくる。
好きな人がいることが幸せって書いてらっしゃったのが印象的でした。
そのこと忘れずにいたいです。
私は昔相当なネガティヴでした。
一つの事にこだわり、後悔ばかりでずっとマイナスにとことんまで考え続けてばかりいました。
でも、とてもポジティブな人に出会いました。彼の口癖は「まあいっか!」でした。
諦めの意味ではなく、起こってしまったことはそれとして、じゃあどうする?の方向の まいっか でした。
その口癖をマネするようになって、から一つの事を考え込むことをしなくなり、楽観的に変わってきました。
今ではその思考ができあがって、まいっかと言わなくてもポジティブに捉えて、一つの事を考え込むことはなくなり息がつまるような自分ではなくなり、楽になりました。
今回のブログを読んでふと思い出し、納得しました。
衝撃でした。
毎日を当たり前と思わず、懸命に過ごして生きたいです。
まじょらむさんのご冥福を心からお祈りします。
自分はいつも誰かのせいにしてきた。過去のうまく行かなかった事に理由をつけながら執着してきた。
もう止めないと。
どんなhow-toを読んで来ても虚しくて心に響かなかった。
でもこの場所は違う。
今日のKouさんのメッセージ、熱いものを感じました。
メッセージ、素直に受け取り、これからも自分の心の奥底で思っているホントの気持ちに向き合って生きて行きたいと思いました。
まじょらむさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
Kouさん、この記事を書いてくださってありがとうございます。
色々と考え、感じる機会をくださったまじょらむさんも、本当にありがとうございます。
そんな事があったんですね。
記事にしていただいて、ありがたく勉強させていただきます。
機会を与えていただいた皆さんに感謝します。
また、今まで直接関わる事がありませんでしたが、まじょらむさん、どうか安らかに。
心がざわっ、としました。
あたりまえと思いすぎて
大切なことを見落としてはいなかっただろうかと。
まじょらむさん、
前向きに恋していた彼女のコメントを
読ませていただきました。
精一杯恋して、精一杯生きる
大切さ。
納得しながら
今できることはなにか?
常に考え
責任をもって
自分を生きるということ
わたし、はずかしいです。
行動しない言い訳ばかりして、
そんな自分がはずかしいです。
自分に自信がないから
踏み出さないでいるわたし。
自信がない?それがなんだというのだろう?
精一杯生きた彼女に恥じぬような
生きかたをしたいです。
私の友人も5年間の闘病ののち、乳がんで亡くなりました。
まだ30代でした。
9月末で2年になります。
彼女もものすごく強い女性でした。
たった一度だけ、お母様に「私何か悪いことしたのかなぁ」とだけ言ったことがあるそうですが、
それ以外は一切弱音を吐くことなく、病気と闘っていました。
必ず治ると信じ、常に前向きにその時できることを精一杯やっていました。
死後見せてもらった彼女の日記には、今出来ること、してる事、
治ったらやりたい事がたくさん、たくさん、書いてありました。
まじょらむさんの明るく、常に前向きで聡明なコメントを読ませて頂き、
彼女の事もまた鮮明に思い出しました。
そして、自分がいかに幸せに生きているのかってことも。
彼女が亡くなった時痛切に感じたのに、またその気持ちを忘れかけている。
しっかりして!って、頬っぺたを叩いてもらったような衝撃を受けました。
いかに自分が甘えているか。
まだまだ本当の意味で自分に向き合っておらず、全力で自分の人生をやりきろうとしていないか。
そして目の前の幸せを当たり前に思ってしまい、感謝の気持ちを忘れてしまっている事も。
まじょらむさんと私の友人に敬意を表するとともに、
彼女達の素晴らしさに少しでも近づけるよう、努力する決意をここに残します。
どうもありがとうございました。
この記事を読むまで、わたしはまじょらむさんを知りませんでした。
病気と向き合い、自分と向き合い、
ひたむきに勉強に励まれていたんですね。
強く素敵な方だったのでしょうね。
どうか天国でも、来世でも素敵な恋愛をされますように。
恋ができること
愛し愛されること
生きていること
生かされていること
全ては書ききれませんが。当たり前なんてない。
今この一瞬一瞬を大切にしたいと思いました!
まじょらむさん、ご冥福をお祈りします。
まじょらむさんの最後のコメントは以前たまたま見つけて読みました。
コメントの内容だけ覚えていてお名前までは記憶していなかったのですが、
まさかあれから亡くなられていたなんて。衝撃を受けています。
あらためてまじょらむさんのコメントを遡って読みましたが、
自分の大切なものへの愛を持って、最後まで女性として輝き続けていらっしゃったと思います。
まじょらむさんが残してくださったコメントのおかげで女性の価値というものに向き合えたことに感謝いたします。ありがとうございました。
Kouさん、まじょらむさんの記録記事をあげてくださってありがとうございます。
まじょらむさん。
ご冥福をお祈りします。。。
私、卑屈になる部分、あったような気がする。。。
自分のことを自分で最後までフォローし続けます。
自分の人生がうまくいくよう、自分で納得して進めようと思う。
Kouさん、ありがとうございます。
誰かのせいにはしたくないです。
自分のことは自分で決めたいし、子供の時からそうしてきました。
選んだ結果、良くも悪くも、その時の自分の最善の選択だと思っています。
考えることはあっても、自分を責めることもしません。
何も産み出さないから。
選べないのは生まれた家だけだと思っています。
だけど、その先は自分で自由に選択できる。
常に今の自分が一番良いと思って、これからも進むつもりです。
後悔はしたくないから。
人が亡くなる、
私は、絶えられないです。
衝撃的なblogです。
私も、実は病気を患い入院してました。
入院する前、何ヵ月も、毎日毎日泣いてました。仕事しながらも、目を紅くして。
{あたし、死ぬのかな~もう終り?}
とか、マイナスばかりだったのを思い出します。
幸い同じ病室に同じ病気で苦しむかたが、私を含め3人いらっしゃって、少しは楽に。
その時は、どうせ死ぬなら、自分で~納得して死のう。
そこまで考えてました。
でも途中で、死にたくない!
あたしは、まだやりたい事が沢山ある!
子供も残して死ねない!
絶体、死なない、生きてやる!
っって変わりました。
常に、不安有りましたね。
それからは、自分の病気を調べまくりです。東京の友達にも聞いてもらい、良い案を貰って。他の病院に電話したら、看護師さんが先生に直接聞いて教えてくれたり。
自分が動かなきゃ知らない事ばかりでした。
どれだけ、自分が傷付いても、どん底に落ちても、先が見えなくても、結局、困るのは自分。
辛くて、悲しくても、周りは痛みまでは分からない。
先生の言う医学的な話しも、そっちのけでした。
先生は困ってましたけど。
自分の事を、先生に決められるのが嫌でしたから!
先生の言う通りにしていたら、私は、ここには居なかったと思います。
切れば、散らばりますから。
残して、薬療法~放射線、選び2ヶ月。
途中で消えました!
あの困らせた先生は『お強いですね』と。
手術しても、転移は無いとは言えません。
それなら、薬を。
私には、放射線は効かないtypeの悪い虫だったようで。
先生は大反対!
それでも、最後まで崩しませんでしたけどね。
消えたのは奇跡なんだったそうな。
どちらを選ぶにしろ、ドキドキでした。
Kouさんの言う事、分かります。
もう、5年8ヶ月たちます。
生きようとすること、人に頼ること、自分のことは自分でやらなきゃ!
と、改めて思えた人生の一部です。
先が見えても進まなきゃならない時もある。
見えなくても、自分の足で自分の選んだ道を歩きます。
この場を借りて、私の体験談でした。
まじょらむさんが、どんな方か。
ご冥福を祈りますm(__)m
まじょらむさん・・・お悔やみ申し上げます。
まだ話したことのないクラスメートの訃報を知らされたような悲しさに襲われました。
きっと病気が治ったら好きな人と一緒に人生を歩まれることを信じてここで勉強しながら頑張られていたのでしょう・・・。
kouさんブログで教えていただきありがとうございました。
ここのブログの方々には密かに仲間意識を持っているので一人でも欠けると寂しいですね。
私はメルマガを読んだとき、
自分の人生に責任を取る、という意味だと思っていました。
責任を取る、という表現が、もう、先入観が働くフレーズなのかもしれませんが、
自分で納得して決めたことなのか、
人のアドバイスや経験談を聞こうとも最終的に自分がいいと思ったことなのか、
それが、責任を取る、だと、これまで思ってきました。
人に対しても、自分の言動には責任がある、と考えます。
そりゃずっと全てにおいて、は無理かもしれません。
でも、私と接することそれ自体が、
相手に対しての責任がある、と、思っていました。
ですから、この記事はまた、私にとって、
違う角度からの、
また、より状況の具体的な、
責任を取る、という考えを知ることが出来たと感じました。
私の好きな彼は、よく、
「俺は毎日全力だから」
「だっていつ死ぬか分からないでしょ」
と、言います。
なぜ彼がそれを強く思うことになったか、
それは知りません。
でも、その意味は、重々分かっているつもりです。
それでも、振り返ってみれば、
「全力」なんかで生きていない日はたくさんあるし、
テキトーだったり流されたりする日も、たくさんあります。
まじょらむさんがこちらに居た頃は、
私はまだここを知りませんでした。
けれど、お名前は何度か拝見しています。
記事を読んで……、
読んで、ありきたりな言葉など書けません。
ただ、私の心のどこかに、
しっかりと刻まれました。
もしかしたら、
いまも見ていらっしゃるのかもしれませんね。
私のグレーな彼も、いつもこの言葉を言ってくれてました。
彼は私を人として愛してくれてたんだなぁてこのブログで感じ自信を取り戻します。
そして、私はあの時もがき苦しむ闇にいてたので、頭でわかっていても人のせいにして、自分と向き合おうとすると、今度は自分を責め立てていたんだなぁて思います。
kouさんのブログ心に響きました!
ありがとうございます!
ご冥福をお祈りいたします。
どう生きるかは自分で決めることですものね。
過去に自分の身に不幸が立て続けに降りかかった時、
決まって自分の生き方の方向転換をせざるを得ませんでした。
その時期、自分でも間違った方向に行ってる気はしてたんです。
例えば高校時代、彼氏に振られテストの成績がクラスで最下位になりクラスメイトのグループから無視され一人ぼっちになった時、
一人猛勉強して成績上げて自尊心を取り戻しました。
それまでちょっと不良の彼氏と付き合ったりチャラチャラ遊んでいたグループと付き合ったりしてたのは
本来の私には似合わないことだったと痛烈に気付くきっかけだったと思います。
あれ以来勉強に目覚め付き合う友達も真面目な人達ばかりになりました。
また、母が重い躁鬱病にかかり入院し、大好きだった男性に振られ、
父は仕事で出世し重職に就き仕事のストレスまでかかえる中、
私が現状を嘆いているだけでは家族はだめになると思い、
現状を受け入れ自分の出来ることに集中せざるを得ませんでした。
父とはそれまで決して仲がいいとは言えませんでしたが、幸いお互い歌うことが好きだったので、
時間が出来れば一緒にカラオケに行って歌いまくって外であちこちおいしいもの食べに行って
出来る限り楽しく暮らす事を心がけました。
母のことは、急に子供みたいになった母を見て自分に母親という存在がいなくなったような気がして悲しくなりましたが、
今が自立しなければならない時なんだと自分に言い聞かせ、
母も母親ではなく一人の人間だと受け入れるようになりました。
イジメの事にしても母の病気のことにしても、
誰が悪いとかいう問題ではなく、
自分のスピリチュアルな解釈として
自分の生きる目的のための進むべき方向を誤っていた時期に
正しい道に向かわざるを得ないように
次から次へと自分のために起った出来事のような気がしてました。
あくまでも自分の解釈です。
他の人にも当てはまるといいたいわけではありません。
まじょらむさんのコメントを全部読んできました。
こんな素敵な方を亡くされて、
恋愛のお相手の方や、まだ中学生だった息子さんのご心中は如何ばかりかと…
ここに、まじょらむさんを記憶します。
「責任」については、問題なく理解していましたよ。
まじょらむさんのコメント拝見しました。
苦しい状況のなかでも恋愛の勉強をして、学びを得て、前向きに生きてらっしゃったのですね。
「うん、うん、おっしゃる通り!」
「へえー、そうなんですね。」
とコメントを読んでいて私もまた勉強になりました。
自分で責任を取ること、自分以外のもののせいにせず、自分のことを自分で最後までフォローし続ける。
私と同じこのブログで勉強していた女性が最後まで主体性を持って生き続けた姿。
Kouさんがまじょらむさんの記録記事を綴って、私たちに発信したメッセージ。
受け止めます。しっかりと。心に刻みます。
最後に、まじょらむさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。息子さんやお相手の男性の記憶に、そのお姿が残り続けることと思います。
まじょらむさんのコメント、検索してみたいと思います。
kouさんのblogはとても前向きな内容で、恋愛だけでなく生き方のヒントがたくさん学べるので、きっとまじょらむさんの心の支えになっていたのではないかと思いました。
ご冥福をお祈りいたします。
私はバカみたいに前向きな人間です。
コメントでもきっと強気で偉そうで理屈っぽいのが全開だと自覚してますf^_^;)
強気=自分への叱咤
偉そう=自信に繋げるための思い込み
理屈っぽい=自分の中で考え決断する習慣
という武装でもあると思いたいです(笑)
実際の生活の中ではここまでの自分を出せませんし、表の顔とお勉強の顔は別物です。そして後ろ向きな自分もたまには現れたり、いろんな自分が居ます。
ここでは完全に自分のためにコメントしているので、お見苦しい点も多々あると思います。私は不器用なのか、周りを配慮してたら本当の自分と向き合えない気がして、自分勝手させていただいてます。
そして案外気にしいなのか、日々そこが心の片隅で心配だったりします(ノ_<)
でもこれがここでの私のお勉強方法なのでいいとも思っています(^-^)
自分で自分の面倒を見ること、多分結構できてるつもりです。かなり個人主義なのです。
多分人には分かってもらえない事と向き合ってきたから、いい意味で人には期待してません。
自分を責めることも飽きるほどしてて、ある日飽きちゃいました(笑)
元彼はこんな私とは違って、まだまだ環境に流され飲み込まれているように見えました。
別れる理由は悲劇のヒロインでした。あえてヒーローとは言ってあげません(笑)
最終的には私が免許取れないからとか歳だからとか。。どーしろっての!
こういうシビア場面で人のせいにして逃げる人は正直、
苦労が足りてませんな。
私から見たら、恵まれてる幸せな人なんだとも思います。
けどそんな元彼は心配で嫌いです。
今は親の決めた似た者同士で不満ありつつお付き合いしてる様です。
悲劇のヒロイン同士末長くお幸せにヽ(´o`;
自分を責めること、人のせいにするよりはいいと思ってます。
私は責めたければとことん落ちるところまで堕ちてみてます。短時間で深く深くがルールです。浅く長くは危険だから。
習慣にしてはいけないけど、人のせい、環境のせいにしたくなくて短時間で海底に潜るイメージ。
そうして飽きると、自分の中の問題が見えてるので、今の自分に出来る解決策を考えます。まとまったら信頼できる人に話したりして、それを実行します。
有言実行作作戦です(^∇^)
もちろん言えない時も多々ありますが(^_^;)
なんか取り止めがなくなりましたが、私は恋愛以外は心の勉強優等生だと勝手に思ってます(笑)恥ずかしくても言い切ります!(^ν^)
恋愛も強気発言出来るようにがんばります!
私は、テレビに過ぎませんが
アンビリバボーや
世界の仰天が
興味があり
録画して見ています。
多種多様な立場の人がいて
心を繋いでいます。
まじょらむさんのお話は
なんと切ないことでしょう。
心がぎゅー!っと
苦しくて苦しくて仕方なくなります。
明日は我が身です。
他人事ではないし
気持ちも
他人事ではない。
事実として
受け入れる
受け入れた上で
自分でどうフォローしていくのか
病気もそうだし
恋愛もそうだし
病気の人がいるんだから
呑気に恋愛してる場合じゃない!とか
思うこともしかり。
でも、
恋愛も
人の心としても
闘病中に感じることもしかり。
私が今、望んでいることは
とにかく!
病気にならないで
子供たちを大切にできる立場であること。
守ることができるように。
私が死んだり
そばにいられなくなったら
もれなく
ガス室で処分になるかもで。
子供といっても
ご存じの方もいる通り
動物ですけど。
こんな、ブログ、
たかが、ブログ
でも
救われてる人はいる。
どのブログでも
どの人間関係でも。
だからといって
なんでもかんでもではなく。
Kouさん、
いいことしましたね。
やってよかった
生きててよかったって
Kouさんが
むしろ
思ったのではないかと
思いました。
好きだ嫌いだ
どーだこーだ
命を失えば
どーにもならない。
考える、生きてる人に
考えさせるために
輝いて生き抜く人もいるのかと
生命体に絶句する時もあります。
私も自分が今
無くす命としたら
どえするか
よく
想定して考えます。
それは
そうでない立場だから
考えるみたいな
エゴだとも思います。
でも、
明日は我が身!とも
思います。
大切な存在のために
今でしょ!って
ちゃんと
確約をしとかないとなー。
思ってても
実行に移さない私で
甘えなんだと思います。
私のような人間が生きていて
どうして
生きるに値する人が
失われるのか
とても
切ないです。
意味があるなんて
人間の後付けで
いい人ほど先にいくとか
もう、嫌ですね。
無差別殺人したり
テロをやっている
理由はあるのかもだけど
そんな人ほど
いなくなってほしい。
愛されることを受け取ったら
人は人を傷つけることをしないで
済むのではないか
そんな
ドラマの
言葉も
そうであってほしい。
愛されたことなくても
人を傷つけることで
担う必要ないとか
思うし。
せっかく、
宇宙で
地球だけなのに
なんで
地球で争うの?
宇宙人侵略とか
マジあれば
地球人として
結束すんのかなー。
とか思うのね。
生命体には
逃れられないこともあるけど
だからこそ、一つ一つを大切に
思ってもよくない?
ほんとに
苦しい世界にしたのは
なぜなのか。
わからない。
かいえさん
かいえさんが死にそうなときは
なんとしてでも連絡先を教えてくれー。
動物さん達はわたしが心地よい環境を探します。
かいえさんにもしものことがあったら200%約束は守ります。
かいえさんのいなくなった心のスペースを埋めることはできなくても
できるだけ、心楽しく動物生を全うしてもらいます。
そのまえに、死ぬな!
闘病中であるにも関わらず、心の中にある恐怖と歩きながら、それでも恋愛の勉強をしようと決めて実際にやっていたというのは、本当にすごいことだと思います。
自分の人生を自分で見つめるって、けっこう多くの人が出来ないことだと思うのです。
どうしたって目をそらしたくなる。
私はまじょらむさんをお見かけしたことはありませんが、Kouさんのこの記事を読んで、なんだか元気をもらった気がします。
私まだまだいける!って思います。
ちゃんと自分の責任を自分でとろうと。
まじょらむさん、Kouさん、ありがとうございます。
『自由とは、自分の行動に責任を持つことである。』と言われ続けた学生時代。
はじめは幼さもあって、意味が分からなかったけれど、日々そんな言葉を浴びていくなかで、うまくは説明できませんが、自分の腑に落ちる言葉になって、じわじわ染み込んでいきました。
自立する、って話とも繋がりますが
学生時代のこの教えは、今も私の中で生きています。
自由って『何でもやっていい』って意味ではなくて、『自分の行動に責任を持つこと、持てる範囲のこと』なんだよ。
そう、はじめに教わりました。
同時、12才の私は
「自由ってもっと伸び伸びしたもんだと思ってたのに、なんだか厳しいんだな。意外。」って衝撃を受けたのを覚えています。
お陰でちょっとたくましく育ちすぎたかな(笑)
と思うこともありますが、同じ教えを受けて学んだ仲間は、今でも私の宝物です。
時には張り合うことも、ケンカすることもあったけど、自分もうかうかしてられないな!って思えるほど、みんな努力家なので、刺激を受けています。
自由とは。
この言葉は私の生きる覚悟です。
自分と向き合う覚悟。
生きるって大変だし、逃げたくなったり、ボロボロに傷つくこともあるけど、血まみれになりながらでも「今よりもっと良くなりたい!」って思ったら、その瞬間から自分の世界は簡単に変わります。
自分と向き合うのは物凄く痛くて、泣きたくなったり、孤独にもなるけど。
なんだか今回の記事は、ふとそんなことを思い出させるものでした。
●嫌われる勇気
という本を読むと分かりやすいかもしれません。
カウンセリングを生業としている人が、『この本を読むだけでも劇的に改善する人がいるから、商売あがったりなんだけど読んでみて!』とオススメしていました。
Kouさんの話の理解の手助けとなる本だと思います。
以上 お裾分け情報でした。
やめれー!
せっかく
どっかに
宣言ページあったなーとか
探してたのに(笑)
私は
あと
10年は死にません!って!
(笑)
ありがとう!
やばい!
涙で見えない!
思わず
住所と
マイクロチップの番号を書きそうになった(笑)
ありがとう!ありがとう!
いざとなって
どーしよーもなくなったら
連絡できる状況なら
Kouに仲介しろ!と
やるかも!?
子供たちの特徴を
かいておかないとなーと
おもーてる。
でも、生きるつもりでいるから
甘えなんだよね。
明日、事故にあって
いなくなるかもしんないのに
呼び寄せたとか言われると
すごく気にして
昔のサリン事件とかで
私はたまたま
その時間の電車に乗ってなかったけど
乗ってたら
終わりだよね。
私が気を付けて
回避できることなのか?
ありがとう。
もう、
号泣状態で
どーしていいのか
わかんないけど
明日、目が腫れて
会社にいけないじゃん!みたいな。
私が綿密にかいておかなくても
やってくれそう。
死ぬほど嬉しい!
今死んでもいいくらい!
ありがとう!
もう、 言葉がない!
ふっと楽になった。
新しい仕事を始めてからは、先輩方にはダメなところばかり指摘されて
どうせ私なんか期待されてない。
私ができないのが悪いんだ
勉強不足なんだ努力不足なんだって
毎日暗い気持ちでした。
否定されるばかりの毎日
良い部分なんて見てくれない
おカタい日本人気質の先輩たちに染まって自分まで自分を責めたら、もうだれも自分の味方がいないじゃないと思って
はいはいって開き直って
心を開かないようにしていました。
そう
責任を持つというのは自分を責めることではない。
重く考えすぎなんだ。
そしてまじょらむさんの話を聞いてじわっと涙が出た。
会ったこともないし書き込みすら見たことがなかったのに。
ここの仲間が一人いなくなったという痛み。
まじょらむさん、覚えています。
Kouさんから、本当に自分の意思かどうか、問われながら、
向き合うことの大事さを学んでいます。
問われないと学べないのか。
そういうことじゃないです。
そもそも考えているんです。
明日、来週、来年、自分が自分じゃなくなるかも知れないんです。
私が医療従事者だからではないんです。
どうしたいの?は、今でしょ、じゃなくて、
どうなりたいの?
です。
想いです。今の想いが影響するんです。
貪欲に思いどおりにしたい、とか、
そういうのでなく、
本当はそうしたいの。こうなの。
という表現が出てきます。
あらわれます。
あらわれても眼をつむることもできます。
でもあらわれるんです。
明日どうなるかわからないんです。
でも人を愛することはできるんです。
自分でどうしようもないこともありました。
彼が交通事故で亡くなった、過去10年経ちましたが、
どうしようもない事象は起こるかも知れません。
でも、人を愛することは出来るのです。
それが自分の幸せかどうか、問いながら過ごしています。
でも、主体性、大事です。ほんとに大事です。
自分で選んだから、だけではなく、真剣さを自分から問われます。
自分から問われるんです。
まじょらむさん、お悔やみ申し上げます。
まじょらむさんのご冥福をお祈りします。
重い病気と闘いながらも女性らしく生きようと学び続けたまじょらむさんを尊敬します。
まじょらむさんが女性らしさを発揮させたことで中学生の息子さんにも変化があったんですね。
Kou様は沢山の女性を変えてきましたが、間接的に沢山の男性も変えてきたんだなぁと改めて思いました。
私の知っている方で交通事故により体の幾つかの臓器がなく、
その後病院での感染症が原因で何年間か寝たきり生活を送ったのち、
お医者様からはあと僅かしか生きれないと言われながらも
数十年経った今でも元気に仕事をされ、自分のご家族のためにビルを建て、
中卒でありながら法人団体のトップを務めてらっしゃる方がいます。
本当は屋内での軽作業程度しかやってはいけないと言われているのに
スポーツを熟され、また、ステージにも立ってらっしゃるので
年に一回は地方へも来てくださいます(しかも車移動)
それだけでも凄いのにその方は自分をそんな酷い目に遭わせた
交通事故の加害者を許された、ということです。
そのきっかけは、加害者の方には目の見えない小さなお子様がいたから。
そのお子さんの写真を目にした時に、自分が加害者を許さなければ
加害者は社会的に大きな制裁を受け、お子さんのその後の人生をも暗いものにしてしまう、
この小さい女の子の笑顔を失わせることはできないと思ったからだそうです。
普通、信号無視で突っ込んできて自分の人生をメチャメチャにした相手を
ここまで許すことができるでしょうか?
許すという決断をされた後に、それでも気持ちが揺らいだことがありませんでしたか?
という問いに『一切ない』と仰るんです。
この方の生き様は正に『自分の人生は自分で責任を取る』ということだと思うのですが、
どうでしょうか?
私も、ここまで壮絶な経験こそないもののうまくいかなかったことを
受け入れられず誰かや何かのせいにすることはよくあります。
でも、そうすると自分の成長に繋がらないんですよね。
自分のせいにすることで、今回はこれが良くなかったから次はこうしよう、
など自分でものを考えて動けるし、経験値がどんどん積み上がっていくというか。
あと、自分で考えて決めて行動したことでそれが思うような結果にならなくても、
他人に委ねたそれよりダメージが小さい気もします。
>うまくいかなかったら笑い飛ばせばいいと思うのです。
これ、以前の私は気むずかしすぎて出来ませんでした。
どうしてその状況で笑うことができるの?って。
でも、結局笑うしかないしそうした方が後々自分が楽だったりもします。
カモはおそらく私のことがまだ好きでしょう。決して嫌いにはなれないはずです。
でも、もしダメだった場合はそれでもいっかー☆って。
自分がやれるだけのことはやって、それでもダメだったら
その時はその時だって思えるようになってきました。
笑えばいいのです。
マジョラム…
花の名は、ラテン語のmajor(より大きい)に由来し、
人の生命を長く伸ばすという意味がある。
花言葉「常に幸福」「はじらい」
私はアロマに興味があるので、
まじょらむさんのお名前を拝見した時に真っ先に
マジョラムスイートの精油を思い出しました。
鎮静作用があり、神経を落ち着かせてくれます。
ご冥福をお祈りします。
>これについて、僕は自分の人生の責任を自分でとるという話をしました。
読み違いっていうか、全部自分のせいにしろという言い方にしか聞こえませんでしたよ、私には。
読み違いじゃないです。受け取る人間によって様々なものに違うも正しいもありません。
>「自分のせい」とか、「他人のせい」という表現を絡めたからなんでしょうね(^^;
そうです。
>全部自分のせい、自分が悪いと考えると、実は相当に辛い人生になります。
他人のせいにしていくことよりはマシかもしれませんが、何でもかんでも「私が悪い」で生きるのはかなりしんどいですね。
そりゃそうです。しんどいです。明らかに相手が悪くても自分の駄目な所を探しながら謝る理由を探しながら生きるなんて馬鹿です。
>自分を責め立ててくださいと言っているのではなく、自分で楽にコントロールできるようにする方向に持っていってくださいということなんです。
>
自分の人生がうまくいくかどうかを、自分で決めることです。自分で納得して進めようと思う気持ちをもってもらうことです。
この文がメルマガに書いてあれば誤解を招くことにもならなかった気がします。
>恋愛でも、彼が悪い、親が悪い、環境が悪い、自分の育ちが悪いという理由で、勝手にさじを投げようとする女性のなんと多いことか。
恋愛でも、彼女が悪い、親が悪い、環境が悪い、自分の育ちが悪いという理由で、勝手にさじを投げようとする男性のなんと多いことか。
「他人のせいにしない」ではなく「誰かのせいにしない」に言葉を変えてください。他人のせいというと、どうしても自分と自分以外という発想になる。だけど、誰かのせいというと自分も誰かの中に入る。何か物事に問題が起きたときは割合を無視すると必ず双方に問題があります。お互いに他人のせいにしない。誰かのせいにしない。私は私の悪かったところは自分でなおすから、お前はお前の悪かったところは自分でなおせよ。こんな風に私は考えます。
大丈夫です。ここにいるみんなは家族みたいなもんです。まじょらむさんも家族です。だから大丈夫です。
かいえさん
泣くなー!!!
嘘。
泣いていい。
「わたしは子供達全員看取るまで死なない」と決めて宣言しろ!
それだけで、そうなる。
と信じきる。
さらに安心するために、わかりやすく
家でも職場でも
事故があったら
かいえさんの住所をKouさんにメールする⇒Kouさんからわたしへメール
とういうことを指示する文書を準備。
そしたら、わたしはその日に帰国して動物さん達を保護する!
でも、かいえさんは
あなたは、動物さんたちを看取ってからしか死にません。
大丈夫。
あ、多分私まだこの記事のこと良くわかってないのにコメントしてしまったな。
>自分のことに自分で責任をとるというのは、「うまくいかなかったことを自分が悪いと断罪する」ことじゃありません。
断罪ではなく、それまでとは違うものの見方をしてみることで
今まで見えてたものとは別の景色が見えてくる、
そうする事で自分が楽になるとか、そういうことなのかな?
同じ時に同じように勉強していて…状況は違えど、此処で勉強していたのは同じ気持ちだったと思います。
何ともいえない気持ちですが、まじょらむさんのご冥福を御祈りさせていただきます。
生きること。
もっと考えていきたいです。
私も体で不安なことがあってあまり向き合えていなかったので今一度。改めて考えたいです。
自分を責めすぎないこと、自分を大切にしてあげること。
まじょらむさんの記事に心を打たれました。
ここでお勉強されていた姿が目に浮かぶようです。きっと今、穏やかで優しく美しい笑顔でおられるとことでしょう。
彼女の芯の強さに敬服します。その強さを私の胸にも刻みます。
これから、まじょらむさんのコメントを拝読します。
まじょらむさんのご冥福を心よりお祈り致します。
はじめに、まじょらむさんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
Kouさんのブログに辿り着いて、まだ日が浅い私は、残念ですが、まじょらむさんのコメントをまだ読めていません。
ご自身が大変な状況の中でも恋愛の勉強をされて、全部に自分で向き合い続けていた素敵な女性がいらしたことを忘れずにいたいと思い、私もコメントを残させていただきます。
私にも…ちょっとした特殊な事情があります。
命に関わるものではないのですが、30代半ばになった頃に、ようやく自分でそのことを受け止め受け入れられるようになりました。
それまでは…両親のせいにしてしまったりしていました。
恋愛にも、どこか臆病になったり、慎重になり過ぎたりしていました。
でも、少しずつですが変わりつつあります。
自分を責めるのではなく、時には自分で自分をフォローしながら、納得して前を向いて歩みたいと思います。