
←この記事をお気に入りに追加します。あとで読み返せます。Kouです。
メルマガで書いていたんですが、ブログの方がいいと思って、あえてブログで書き直すことにしました。
今日、「他人のせいにしたら楽です」というメルマガを書きました。
これについて、僕は自分の人生の責任を自分でとるという話をしました。
この「責任」について、どうも読み違いをしている人がいるようなので、改めて説明することにします。
「自分のせい」とか、「他人のせい」という表現を絡めたからなんでしょうね(^^;
自分のことに自分で責任をとるというのは、「うまくいかなかったことを自分が悪いと断罪する」ことじゃありません。
全部私のせい、私が悪かったんでしょ、ということじゃないんですよ。
責任をとるというのは、そういうことじゃないんです。
日本では責任をとるというとき、謝るとか、辞職するとか、断罪されるとか、マイナスのことを考えがちです。
「できなかったら死んでお詫びします」
の延長みたいです(^^;
僕が言っている責任をとるというのは、そういうことじゃないんです。
自分で責任をとるというのは、自分で面倒を見るということです。最後まで。
全部自分のせい、自分が悪いと考えると、実は相当に辛い人生になります。
他人のせいにしていくことよりはマシかもしれませんが、何でもかんでも「私が悪い」で生きるのはかなりしんどいですね。
「雨が降った。雨女の私が悪いんだ。」
「お母さんが不機嫌だ。私がいい子じゃないからだ。」
こんな発想で生きていると、当たり前ですが、どんどん暗い子になっていきます。
それは、このブログを読んで、恋愛の勉強をしている女性が目指す女性像とは随分違うものだと思います。
そうじゃなくて、うまくいかなかったら笑い飛ばせばいいと思うのです。
そして自分でフォローする腹づもりでいればいいのです。
「雨が降った。しょうがないね。じゃあ雨用の用意をしよう。」
「お母さんが不機嫌だ。でも私は釣られずに明るくいよう。」
これだけなんです。こんな発想ができたら、かなり楽だと思いませんか。
自分を責め立ててくださいと言っているのではなく、自分で楽にコントロールできるようにする方向に持っていってくださいということなんです。
それは、自分に起きたことを、自分で面倒を見る覚悟を持つのが一番簡単なんです。
この話でも、結構いろんなことにつながると思います。
何か特殊な事情があるからできないというふうに、他人のせいにしないこと。
他人のせいにせず自分のせいにするという意味で、自分を責め立てる必要はないんです。
そんなことをしても何もいいことはありません。
特殊な事情は特殊な事情です。
それはそれで事実として受け入れた上で、自分でどうフォローしていくかを決めればいいんです。誰かのせいにして投げてしまうことが責任放棄であって、実は一番ダメージが大きいんです。
他人のせいにしていくのは、一見楽です。
でも楽なのはそのときだけです。実はその裏では相変わらずダメージを受け続けていて、やればやるほど疲弊していきます。
恋愛でも、彼が悪い、親が悪い、環境が悪い、自分の育ちが悪いという理由で、勝手にさじを投げようとする女性のなんと多いことか。
今年の5月、ある人から突然メールが来ました。
「女性の承認」の解除に関するメールでした。
「購読者が亡くなりましたので解除してください」
というものでした。
僕は驚きました。彼女の妹にあたる人からの連絡でした。了解を頂いたので、この女性のことをブログで紹介したいと思います。
この女性は、まじょらむさんという人で、「女性の承認」が2014年3月に始まった初日の登録してくれた一人でした。
なんとガン闘病中でした。
コメントを検索したら出てくるので、興味があればぜひ覗いてみてください。コメントは積極的に書く方ではなく、12時間レッスンのみに参加しているような感じですが、僕はまじょらむさんとは随分やり合いました(笑)。
「闘病中のまじょらむです」という書き出しがなければ、なかなか闘病中だとは分からないくらいに元気な文面が多いんです。
そして一番驚いたのは、全部に自分で向き合い続けていたことです。
結構な数のメールをもらいましたが、弱気なメールはあるものの、病気のせいでうまく行かないというような話はただの一度も書いてありませんでした。
彼女自身、自分ですべて納得しながら行動していたんだと思います。
恋愛の勉強も、自分で納得して進めていました。恋愛もそうです。実際には相当に恐怖があったはずです。
そういう話も聞きましたが、それでも今の状況でできることを常に考えているような感じでした。
これを、自分で責任をとるというのだと思うのです。
この知らせを受けたのはもう半年か1年くらい前のような気がしますが、実際には数ヶ月しか経っていません。僕の中では、まだ実感がないからかもしれません。
特殊な事情というのなら、彼女は間違いなく特殊な事情を背負っていました。
たとえ苦しい状況にあっても、あなたと全く同じ時代に生きていて、同じ時期に、同じ場所で、同じブログの記事を読んで、恋愛の勉強を楽しんでやっていた女性がいるのです。
どうか、そういう女性がいたということだけでも記憶に置いてください。
僕はこの記事を、まじょらむさんへの記録記事にします。
残念ながらコメントで会話をしたことのある人がいないようですが、まじょらむさんのコメントを読んで知っているという人はいるかもしれませんね。
僕は自分で自分を責め立てることは一切望んでいません。
そんなことはしないでください。
考えてほしいのは、自分のことを自分で最後までフォローし続けることです。
自分の人生がうまくいくかどうかを、自分で決めることです。自分で納得して進めようと思う気持ちをもってもらうことです。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
言葉が、何を綴っても、軽くて、軽くて、
ここに来て、始めて、ずっと憧れの女性でした。1月8日のコメントにいつか、いつか、私もこんな風にと、そして、ご病気が良くなられることを、
Kouさん、記事にしてくださりありがとうございました。
まじょらむさん
もっと早くに知りたかった方でした。
私には、今まで見えていなかったから。
その機会を頂いたことには、感謝いたします。
まじょらむさん…初めてお名前をお見かけした時、「ハーブのお名前だ…」と思った記憶があります。
とても素敵な女性だったのですね。彼女の芯の強さに心を打たれました。
どうか天国で元気に過ごしていて下さいますように。
まじょらむさん、本当にありがとうございました。
まじょらむさんすてきです。
言葉の断片は浮かぶのに
上手く文章に出来ません。
健康な私の傲慢さが透け出さないかを
恐れているからだと思います。
いつも考えていることですが
向き合いきれていません。
まじょらむさんの魂が
安らかであることをお祈りします。
現在は病床にいらっしゃる方の
1日も早いご快復を願っています。
まじょらむさんのコメント読みました。
たくさん勉強したおかげで最期は幸せだったのではないかなぁと思いました。
勉強してわかったことを、わかりやすく言葉にしてくれている。これから生きる私達へのためにも。。
どこかで出会えてたら凄く気が合う気がします。きっと今も天国でここのみんなを応援してくれているんだろうなぁ^ – ^
ありがとう。まじょらむさん。
ほんとに強い女性は
彼女みたいな方をいうのですね。
上手くいかない理由を探すのは、、
もうやめないと、、ですね!!
しっかり私の記憶に残りました。
こうやって、誰かの記憶に
残り続けるまじょらむさんは、きっと素敵な方だったんですね(*^.^*)
心よりご冥福をお祈りいたします。
まじょらむさん。
母親も2年前、乳がんで亡くなりました。
彼女は看護師だったけれど納得いかない
治療法は最後まで拒否し、自分なり
の選択をして亡くなりました。
まじょらむさん。母親のことで
思い出ばかり残って、魂はどこに
いってしまったのだろうと涙が
溢れる事もまだまだありますが。
彼女達は私として生きるうえで
尊敬できる素敵な女性です。
いつまでも。
まじょらむ様のご冥福を心よりお祈り致します。
お会いした事もない、コメント欄で会話もした事がない私ですが、仲間を失ったような気持ちになりました。
きっととても強い女性だったのでしょうね。
私もそんなまじょらむ様のような女性になれるよう、kouさんに鍛えてもらわないとf(^^;
これからも宜しくお願い致しますm(__)m
そして、まじょらむ様の事を記事にして下さって、本当にありがとうございました。
まじょらむさんの
言葉を読み返し、
朝から涙の込みあげる気持ちです。
わたしの母
も、、
わたしが高校時代に
癌になりました。
悪性リンパ腫でした。
いま、この単語を打つのも
ゾッとします、ね。
8回の抗ガン剤
髪の毛の抜ける姿
居なくなってしまうのではないかと
いう気持ち。。。
母は治療後回復し
再発なしで今年で10年くらい元気に
過ごしています*○
〜ひとりなら耐えられなかった〜
〜家族が居たからどうしても生きたいと思ったよ、ありがとう♡〜
と、8回目の治療後に
言われたことを思い出しました*
まじょらむ様
どうか、この場で、みんなで
また会いましょうね*○
みんなでお勉強、
しましょうね*○
ご冥福をこころよりお祈りします。
まじょらむさん、素敵な方ですね。
バツイチ母子家庭、同じ境遇なので、感情移入して思わず泣きそうになりました。
ご自身はいろんな思いがおありだったのでしょうが、それでも前向きで明るいコメントを読ませてもらって、こちらが明るい気分になりました。
一度お会いしたい、そんな気持ちになりました。
まじょらむさん、ありがとうございます。
お会いすることは叶いませんが、まじょらむさんが残したコメントをこれからも読ませていただきます。
正直に言いますと、まじょらむさんという方を今回の記事で初めて知りました。
なのに、ほんとうに心から死をいたむ気持ちで、涙が出てしまいました。
その強さと優しさは、今日一日が無事終わるのか、そして明日が当たり前に来るか分からない。
それを受け止められたものだったのでしょうね。
五体満足な私たちだって、いつ何が起こるか分からない。
いつも「今を一生懸命に」と心がけようとは思っていても「明日でいいか」と先延ばしにする甘え。
それを、身近(だと私は思っている)な仲間に教えられ、改めて強くなりたいと思いました。
ありがとうございます。
まじょらむさんのご冥福を心からお祈りいたします。
まじょらむさんのこと、驚きました。
日々、生きているということ。生かされているということ。
普段、忘れがちな大切なことを、気付かせてもらいました。
まじょらむさん、素敵な方。
思春期の息子さん、どうか立派に成長されますよう願っています。
まじょむらさん、ありがとう!
みんなに力を与えてくれました。
まじょむらさんのように、たくさん徳を積んで私が影響を与えれるよう生きていきたいと思うように心が動きました!
闘病中でも、自分と向き合い続けたまじょらむさん。
強く美しい人だったことと思います。
今できることを常に考える…
他人や環境のせいにしてしまうことは私もあります。
私だけじゃなく、人間誰しもそういうことはあるのでしょう。
それでも、状況に甘んじてばかりではいけないなと。
まじょらむさん、大切なことを教えてくれてありがとうございます。
まじょらむさんのコメント、覚えています。
「息子さんが2年間の不登校にピリオドを打った」という内容のものが印象に残っています。
闘病中というのを感じさせず、前しか向いていない明るい印象を受けました。
女性としての自分を大切にしながら「人事を尽くして天命を待つ」を全うされた、素敵な方です。
彼女が大切に思っていた方達の中では勿論のこと、私の中でも、まじょらむさんは生き続けると思います(*^_^*)
人生って不公平だな
つくづく
まじょらむさんご冥府を御祈りします。
皆状況は違えど、幸せになる!と決めて勉強をさせて頂いて居ます。生きていると言うことは私が主人公です。私のストーリーは絶対にハッピーエンドと決めているので、これからも勉強させて頂きます。
私は何か悪い事が起きた時、真っ先に相手のせいと考えてしまいます。ただ、同時に私に悪い所はなかったのか?と考えるようにしています。そうすると自然と相手へのイライラが消えるんです。自分も悪かったんだ!笑 怒ってもしょうがない!笑 って。
相手へ不満を持ってモヤモヤしてる時って楽しくないです。
責任転嫁をしないって、自分が楽に楽しく生きるた為のプロセスなのかな?と私は思っています^ ^
私にも特殊な事情があります
私も17年間闘病中です
私の病気は治ることはありません
薬を飲み続けていれば悪くはならないという寛解の状態です
寛解して10年です
入院は何回もしましたしつらい時もありました
でも私は病気を理由に逃げたことは1度もありません
主人と結婚し、子どもを産むことはすごく難しいことでしたが、命の綱とも言える自分に一番合う薬をやめて妊娠しました
妊娠中は筆舌に尽くし難い状況でしたが、主人の支えもあり無事出産することができました
それからKouさんのブログに出会い日々恋愛の勉強をしています
今回の最後まで自分で自分の責任をとること、すごくためになりました
まじょらむさん?、知らないなぁと思ったけど、
コメント検索してみたら、見覚えのあるコメントが!
2015年 1月 08日 8:13:20 のコメントは
何故か私の記憶に残っていました。
年頃の息子さんを残して先立つというのは
とても無念だったでしょう、、、
ご冥福をお祈りします。
まじょらむさんから私へのメッセージだと思い、
毎年行っているけど面倒だなぁと思っていた
乳がん検診に行くことにします!
自分とちゃんと向き合えてたのかな?
と考えました。
今回のまじょらむさんの記事がなかったら
向き合ったつもりていたかもしれません。
だとしたら、ここでの出会いにも感謝です。
まじょらむさんはずっとここに来る人達に影響を与え続ける事ができますね。
今朝の女性の承認での話が更にリンクします。
自分ときちんと向き合う時間を作ります。
最近向き合えてませんでした。
まじょらむさん、ありがとうございました。
「責任を取る」という言葉は嫌いでした。
責任を取るということは、自分が悪かったのだと自分を責めることだと思ってたから。
こんな辛い思いをするなら責任なんか取りたくない、自分で責任を取らなきゃいけないようなことはしたくないって思ってました。
そうじゃないんですね。
「自分で最後まで面倒を見ること」
これなら、出来そうです。
何かあったら、まず笑い飛ばして、そして最後まで面倒を見る。
思えば、私の理想だった上司はこんな方でした。
自分がミスをした時も、部下がミスをした時も、「しょうがないしょうがない!なんとかなる!」と笑い飛ばしてくれて。最後まできちんと面倒を見ていました。
あと、最近は何か不祥事が発覚すると、何でもかんでも本人やトップの方が「責任を取って辞めます」となりますよね。それにも違和感を感じてました。
色々事情はあるのだろうけど、責任を取るというのなら、辞めるよりもまずは今起こってる問題をきちんと片付ける方が先なんじゃないのかな。と感じることがよくありました。
自分を責めず、他人のせいにせず、自分のことを自分で最後まで面倒を見る。
私はこんな人になりたいです。
もう、状況のせいにしたり、できない理由を作るのはやめます。
今出来ることを、精一杯やりたいです。
何より、どんなことも楽しみながらやっていきたいです
まじょらむさんのことは、12時間レッスンの時にコメントをお見かけしたことがありました。
コメントを改めて見てみて、恋愛を楽しんでいて、芯のあるとても素敵な方だと思いました。
恋愛を楽しむということ、何かのせいにするのではなく今の状況でできることを考えるということ。
今回の記事で、とても大事なことを沢山気付かせて頂きました。
まじょらむさん、こうさん、ありがとうございます。
いい年齢で、身内を亡くした経験もあるのですが、未だに死と向き合うことが苦手です。
今回の記事を目にしてから、まじょらむさんがどんな女性だったのか、どういう恋愛をしてきたのか、病とどう向き合ったのか、グルグルと考えています。
コメント検索は、まだできません。
生きていらしたという痕跡を見ると、お亡くなりになったという事実が、より重く感じられそうで…。臆病ですみません。
でもそのうち、きっと読んでみようと思います。
Kouさんが、まじょらむさんの事を記事にして下さったこと、記事で伝えたかったこと、自分の中にと落とし込んで、じっくり考えてみようと思います。
まじょらむさんのご冥福を、お祈りしております。
自分の面倒を自分で見ることが責任ですか。。まじょむらさんのお話と共に
とても心を打たれました。
責任を取るとは、自分を断罪することだと
ずっと思って攻め倒していました。
そして、人に対しても。
だから、自分が悪いんだと頭を抱えず
にこにこしている人をみると
責任を負えない人、考えない人と思ってイライラさえしていました。
孤独を含めて自分で抱えていく。面倒をみていく。まじょむらさんは
きっと、ずっとそうしてこられたんでしょうね。
まじょむらさんのご冥福をお祈りいたします。
まじょらむさんは私と同い年くらいなのでしょうか?思春期の息子さんがいらっしゃるとの事。我が家にも同世代の娘達がおります。
いつ、何が起こるかわからない世の中。毎日精一杯悔いのないように生きないといけませんね。
まじょらむさんは、この世の修行を早く終えられたのですね。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
まじょらむさん、ご冥福をお祈りします。
知り合いでもない私がコメントを残すのも、おかしな話かもしれません。
まだコメントを見たこともないので、まじょらむさんがどんな人なのか、私は知りません。
ですが、kouさんのお話や他の方のコメントを読む限り、きっと素敵な女性なのでしょうね。
今までお疲れさまでした。
どうぞゆっくり休んでください。
こういう時、何て言ったらいいか本当にわからなくて、一晩時間を置いてみたけど結局見つかりませんでした。何か不適切な言葉を書いてしまって不快な思いをさせてしまったらとか…。私の発した言葉が、外に出た瞬間から軽々しい言葉となってしまうんじゃないかと恐れています。
いつでも自分の事ばっかりですね…。
人が亡くなったと聞くのは、悲しいです。
まじょらむさんという女性がいた事、私の心に刻まれましたよ。
いつでも自分と向き合われてた方なんですね。
kouさん、私責任をとるってどういう事かわかってなかったけど、出来てましたよ。自分で納得のいく判断をして降りかかる出来事は受け入れてフォローか。やってました。半分。
最近はサボってたかな…。
おっしゃる通り、何でも降りかかる出来事を何でも自分のせいにしてたら暗い子になります。18までそんな考え方をしてたせいで私は根暗です(笑)けど、そんな時間があったから私は自分の事を考える事が出来たんです。当時は何で!と思った事も自分には必要な出来事だったのだと今はちゃんとわかります。
結局私は私である事から逃げられないんです。自分の所為にしてた18までの私が、降りかかる物事と向き合えていたのか微妙ではありますが、それでも私はどんな時も自分とは向き合って対話していました。
そういえば、私は柳の様な人と言われた事があります。そんな嬉しい事を言われたのに、不安な時は忘れてしまってた。打ちひしがれて泣いても、結局戻ってきて最後にはやり遂げてるんです。途中までは逃げちゃうから、これからは最初から逃げないで向き合えるようにならないとな。
今は、自分で納得して、人生を進めている最中です。だから私は大丈夫。
この記事と出会えて本当に良かったです。kouさん、私にまじょらむさんという方を教えて頂いて、ありがとうございます。
まじょらむさん、ありがとうございます。
どうか安らかに。
今まであまりコメントを読んでいなかったので、
今回初めて1人の方のコメントを読んで、
私と同じで息子さんがいる事、
そして、過去私も息子とのシングル生活をしていて、
今の彼との生活がある事がリンクして
色々自分の中にストンと入ってくる事があり
とても学びになりました。
同時にこのコメントをした方が
もういない事が信じられない気持ちでいっぱいです。
私もいっぱい勉強して
大切なモノ、コトを
自ら大切に愛して行けるように頑張ります。
ありがとう。
とコメントをしている時に
ありえないのに仕事中の彼が、
近くに来たからと帰ってきました。
ビックリ!して慌てて画面を閉じてしまったのですが(汗)
大切な人、大切にしますね(*^^*)
まじょらむさんのご冥福をお祈りいたします。
コメント読ませていただきました。
自分をしっかり見つめて、それでいてとても前向きなコメント。
同じ状況だったら、私には出来ただろうか。
病気と向き合うこと。
大切な彼と、大切な息子さんとお別れすること。
私の想像をこえる辛さがあったと思います。
お会いしたことはないですが、同じブログを読み、同じように感銘を受け、同じように一生懸命勉強した方。
同じ時を過ごした仲間である感覚が、勝手ながら私にあるのだと思います。
悲しいです。
残念です。
悔しいです。
切ないです。
言葉にすると簡単になってしまって申し訳ないけど…
今あることの幸せをしっかり噛み締めて、お勉強、頑張りたいと思います。
なにかのせいにせず、自分の人生に責任を持てるよう努力したいと思います。
私にも、色々なことを考える機会を与えていただきました。
まじょらむさん、どうもありがとうございます。
お急ぎの方のためにまず結論から。
「ご冥福をお祈りします」は
「死後の幸福をお祈りします」という意味です。
一部で言われている
「冥福」という言葉はキリスト教や浄土真宗で使ってはいけない、という「葬儀知識」ですが、
お葬式に参列される方は気にしなくても良いと思います。
しかし、実際遺族に向かって「ご冥福をお祈りいたします」を使用すると、
違和感があるはずなので
「ご愁傷様でございます」を使う方が無難です。
以上が結論。
以下、詳しい解説です。
弔電
ある日弔電(お葬式のときに送る電報)を読んでいて、ふと思いました。
「故人の御冥福をお祈りします」
の「冥福(めいふく)」って何だ?
遺族に対してよく使われる「冥福」という言葉ですが
何となく使っていて何となく意味は分かるのですが、
ちゃんと調べたことはありませんでした。
「福」はわかりますが「冥」という言葉の意味は?
まず「冥」を広辞苑で引いてみます。
「冥」・・・
①くらいこと。くらがり。やみ。
②道理にくらいこと。
③奥深いこと・例「冥想」
④目に見えない神仏の働き
⑤死後の世界 冥府
お坊さんが、遺族からいただいた御布施に領収書を書くとき
(えっ、お坊さんがそんなことするの、と思われた方もいると思いますが、
書くのです。
相続税が発生するご家庭の場合、
お寺の御布施も相続税控除の対象になるので、領収書が必要になります)
領収書の項目に「冥加料」って書くときがあります。
冥加っていうのは「○○冥利に尽きる」という使い方と一緒で、
神仏のご加護のことを指します。
で、冥加料って言うのは神仏の加護に対する御礼、
ってことで社寺へ納めるお金のことです。
これは「冥」の④の使い方ですね。
一方で主人公を絶体絶命の状態に追い詰めた悪者が言うせりふ
「冥土のみやげに・・・」
の冥土(または冥途)ですが
広辞苑によると
「死者の霊魂が迷い行く道。また行き着いた暗黒の世界」
ということになります。
これは「冥」の⑤の意味に近いですね。
さてここまで理解できたところで
「冥福」の意味です。
同じく広辞苑より
「冥福」・・・「みょうふく」とも読む。
①死後の幸福。使用例「冥福を祈る」
②人の死後の幸福を祈るために仏事を修すること。追善。
ということになります。
というわけで
「御冥福をお祈りします」は
「(故人の)死後の幸福をお祈りします」という意味になります。
冥途
さて、この冥福という単語は何か特定の宗教から生まれた言葉ではないので
オールマイティに使えるはずなのですが、こういう意見もあります。
「冥」という字は(暗くぼんやりしてはっきりと分からない)
死後の世界を連想させる。
だから確実に神の国に逝けると考えている一部のキリスト教の場合や
阿弥陀如来の他力本願により極楽浄土に逝けると考えている浄土真宗の場合は
使わない方が良いのでは、
という意見です。
これに対して私は
実際は、「冥福」という表現を使っても問題になることはない
と考えています。
そもそも「冥福」の「冥」にはたしかに 先程述べたように
①くらがり や ⑤ (はっきりしない)死後の世界
というネガティブな意味もありますが、それ以外に
④目に見えない神仏の働き
という意味もあるのですから、
冥福という言葉を使ったからといって
一概に失礼とは言えないと思います。
葬儀屋さんという仕事柄、キリスト教や浄土真宗のお葬式の最中に
「御冥福をお祈りいたします」
という弔電の文言を何度も代読していますが
宗教者から指摘されることはないです。
(仏教の葬儀の弔電に「天国」の文字が入っているときは
さすがにお坊さんの許可をもらいますが)
それから横浜市の火葬場では、
遺族に渡す書類を入れる封筒に、ずっと前から
大きく「ご冥福をお祈りいたします」と印刷しています。
もし致命的な問題があるのなら、
上記の宗派の方が抗議をしてやめさせているはずです。
つまり
これらの説は、冠婚葬祭のマナー本で良く書かれている
「○○宗の方の焼香の回数は○回」
というのと同じで
信者の方はそれほど気にしていない
というのが実情だと思います。
雑誌のネタとして、もしくはスノッブな一部の人たちの発言として
「冥福」 を使うべきではないという事が言われているだけなのではないでしょうか。
だから実際のところ
お葬式に参列する人は「御冥福をお祈りいたします」の使い方に関しては
特に気にしなくても良いと思います。
葬式
ただ、(これも私見ですが)
「御冥福をお祈りいたします」というのは
「哀悼の意を表します」や「お悔やみ申し上げます」と一緒で
口語体ではなく、
弔電の中で使われるのがふさわしい「弔電文語体」だと思うのです。
「御冥福をお祈りいたします」自体が「非日常」な状況で使われるうえに、
さらに「文語体」を口にすることになるので、
実際葬儀のときの挨拶として使われるのを耳にすると
少し不自然というか窮屈(きゅうくつ)な印象をうけます。
もちろん
当事者である、言う方も言われる方も、
当然お葬式という状況に慣れていなくて気持ちにも余裕がないので
はっきりとおかしいって、感じることはないのですが。
ただ、できれば、お葬式の挨拶の際は
「この度はご愁傷様でございます」
を口にするのが一番しっくりくるのではないでしょうか。
自分…幸せだなぁ
命があり
自分の意思で生きていける
自分の意思で人生の方向を
決めること
そこに後悔しないこと
決めたなら
前向きに楽しく生きること
いま実践中です。
本当は生きていくのに必死で
恋愛ができるかどうかも
わかりません。
でも
ここで恋愛の勉強はじめてから
女性らしくいることが
ホントに楽しいんです。
それが支えです。
再びコメントします。
こちらの記事。昨日の夜から頭を離れなくて、いろいろと考えていました。
私のなかでずっと忘れられない記事になりそうです。
『自分のことに自分で責任をとるというのは、「うまくいかなかったことを自分が悪いと断罪する」ことじゃありません。』
今までずっとこう考えていました。
うまくいかないことがあると
全部私のせいなんだ。私が悪い。
と思い込んでどんよりとした雨雲を抱え込んでいました。
一度負の思い込みをしてしまうと、そこから次に活かそう、改善しようという気が起こりません。それは、
どうせ何をしてもだめなんだ。
と負の思い込みが自分の根底にこびりついてしまっていたからのように思います。
そして、その嫌な思い込みを他のことをやって忘れようとしてしまい、何とかしよう!と思ってもその決意は一時的なものでした。
人間、自分自身を否定したら生きていく気力、頑張ろうと思う気力がなくなってしまうんだと思います。
苦しみに耐えて努力をすれば成果が出るという考え方もありますが、自分を肯定できて良い環境を整えてこそ本来のパフォーマンスを発揮できると思います。
自己否定をすることはつまるところ、短期的欲求だと私は思います。なぜなら、目の前の問題から目を背けて責任転換をしているから。その意味では、自分のせいにするのも他人のせいにするのも大して変わらないですね。
環境や状況のせいにもせず。誰のせいにもせず。自分のせいにもせず。
自分の夢を叶えるためにはどうすればよいか。
自分が幸せになるにはどうすればよいか。
たとえ困難にぶつかったとしても、建設的に物事を考えていきたいです。
まじょらむ様、ならびにご親族の方へ
弔電の代わりにこちらを使ってご挨拶させていただきます。
謹んで哀悼の意を表します
気持ちがざわざわして、うまく言葉が追いつかないのですが、
まじょらむさんが、確かにここにいらっしゃった事を私の胸にも刻みました。
ひたむきな言葉のひとつひとつが、胸にささります。
強く優しい方でいらっしゃったんですね。
どうか、安らかでありますように。
まじょらむさま。
ご冥福を心よりお祈りします。
どのようなお覚悟があったのか、
はかり知れません…。
でもわたしも、
いろいろな事情を抱えても、笑える強さ、優しさは、
わたしも持ち続けたいです。
メルマガの内容も、この記事も、
『なんで皆そんなに自分が悪い』と思ってしまうのか、とも思いました。
できない自分、弱い自分も、含めて、
わたしは、わたしを好きでありたい…
そう思っています。
だけど、、、
まじょらむさんのことが書いてあって、愕然としました。
わたしも、まだ怖くて、コメント探しは行けません…
ですが、
まじょらむさまのことは忘れません。
改めて、
笑い飛ばせる強さを持ちたい…
そう思います。
°・*:.。.☆
Kouさん。
わたしも、皆さまと同じで、
何とコメントして良いのか、悩みました。
悩みましたが、
わたしも、『しるし』を残そうと思います。
°・*:.。.☆
わたしの娘は進行性疾患で、余命宣告を受けましたが、
その言われた年を越すことができています。
『奇跡』『学会発表もの』
と、お医者様には言われましたが、
そうではなくて、
娘が自分の力で、生きる力を手に入れよう…としてる、とも思うのです(*^-^*)
娘が誰からも愛されて、可愛がられています。
彼女はいつも笑顔で、周りの人を幸せな気持ちにさせてくれます。
それは、
彼女が自然と、自分のすべてを受け入れて、毎日を楽しんで生きてるから、なんだと思います。
時々、
思うように体がついてこなくて、
わたしに苛立ちをぶつけることもあります。
でも彼女の為に、
全力でサポートしたいですし、
彼女と楽しく日々を大事に過ごしています。
恋愛技法をお勉強するようになって気づいたことがイッパイあるんですけれど、
これを自然にできているのは、
一番身近な娘なんだ、と、
気づきました(*^-^*)
恋愛とは違うかもですが、
『技法は全てに繋がっている』というKouさんのお言葉。
わたしもそう感じています。
まじょらむさんのコメントを読んできました。
前向きに病気を治そうと頑張っていたのですね。まじょらむさんの大切な人たちのことを思うと切ないです。
大切な彼と息子さんは、今どうしていらっしゃるのでしょうか。まじょらむさんがいなくなって、大変悲しまれたと思います。
まじょらむさんはレッスンにも、真剣に取り組んでいたみたいで、本当に頑張っていたんですね。
どうか安らかに眠ってください。
コメントの中から、色々と学ばせて頂きました。
自分で責任をとるということについては、
人や何かのせいにすることはやらないようにと普段から気をつけています。
自分の感情も自分の人生も、自分のものですから。
人や環境のせいにするということは、自分の感情、人生が、他のものに影響されコントロールされることを許してしまっている、ということです。
うろ覚えですが、アドラー心理学では、
すべては自分がそうなりたくてなっているといいます。自らそのような感情を作り出し、後から理由付けとして、周りのせいにしているのだと、そう解釈しています。
だから、良いことも、そうでないことも
真摯に受け止め、時に受け入れられずもがき苦しんだとしても、その中でできることを見つけ、コツコツやっていくというのが、自分の人生に責任をとることだと理解しています。
まじょらむさんのお名前だけは
存じておりました。
まさかお亡くなりになったと聞いて
ただただ驚いています。
ここに集い学びを同じくした学友を
失った寂しさはここから巣立たれた方を含め大変寂しく切なく感じています。
同じ身の上で私も一人で息子を育てる母親として子供を残し旅立たれた際に心中如何許りかと推察するに
最近ことに涙腺が緩いものですから…彼女のご冥福を衷心よりお祈り申し上げると共にご子息の健全な成長を願って止みません。
まじょらむさん、どうか安らかに。
そしてご子息の方、ここへ書いても
到底、伝わらないでしょうけど例え何年掛かっても形を変え言葉が変わってもどうしても伝えたいので伝わると信じて書きます。
お母様の命の灯火は消えたとしても
子を思う母親の魂は消えることはありません。
どうかそれだけは忘れずにいてください。
そしてここに集うお母様の学友である私達は貴方の健やかな成長を切に願っています。
顔も見た事もない、誰だかわからない存在を意識することもない赤の他人が貴方の無事を祈り幸せを願っています。私達は一見殺伐としたこの世に見えても本当はそんな愛に溢れています。
このコミュニティーだけではありません。貴方も私もどこかで知らない誰かが私達の幸せを祈ってくれている、有難いこの世はそれで成り立っている、捨てたものではないということを。
お母様の「幸せになって欲しい」と願い託された命のバトンを大切にして欲しいと願って止みません。
そしてkouさん、本題へコメント致します。
「自分の責任は自分で取る」
「人のせいにすれば楽」について
私は常々「自分の尻は自分で拭う」
「人のせいにするな!みっともない」と考えて生きてきました。
私は女性としてこの世に生を受けて産まれて来た他の女性が多分一生経験する事なく旅立ってもおかしくないであろう経験を数々してきました。女性として人間として過酷な人生だったと思います。
男性だったら死んでいても不思議じゃないかもしれませんね(笑)
でも辛い決断も身を切るような思いも自分で下したものだったので納得してます。納得が行かない答えで妥協はできません。だから自分の人生に後悔はありません。
やれるだけのことはやった上ですから。人事を尽くして天命を待つ、そのものだったのでしょうね。
その代わり徹底的に自分を完膚なきまで責めました。
今もそうです。自分の甘さや脆さを
徹底的に責めました。
人に原因はない、すべては自分が引き寄せた事だと。
でもkouさんに会って少しだけ楽になれました。
今がダメでも、今の自分が許せなくても今は途中経過なんだと。
過去がどうでもこれからを自分が
決めてそちらを向く意識を持った瞬間、未来はまた違うものになるのだと。
「私を幸せに出来るのは私だけ」
それに育ちも過去も環境も関係ない。だって未来なんだもの。
環境が気に入らなければ「欲しい自分の環境は自分が整える」ことも必要。
人が当たり前に出来る事が私には出来ない、ポンコツで欠陥人間だけど
(責める癖、悪いところばかりクローズアップする癖も未だに治らないけど(^^;;)
肩から力を抜いて人の好意も愛情も
素直に受け取って「甘えだ!」と自分を断罪するのを止めて…身軽に。
そう思えるようになったのは
「甘えて頼って喜ぶ」ことを教えて下さったkouさんのお陰でした。
「笑い飛ばす」これからの私の課題。どうしても深刻に難しく近視眼的に捉えがちになるので(笑)
「自分の御守りは自分で出来て初めて大人」
これを課題に私は歩いて生きて行きます。
ちょっと感傷的になり過ぎた感は
ありますが素直な今の私の気持ちとして残します。(^^;;
ご冥福をお祈り申し上げます。。。
年はとっていくけど、やっぱり男は若い女がいいんだ。は、他のせいにしていて、やっぱりいつまでも心に傷を残します。
ならば、年齢を感じさせないほど、明るい表情、年齢をきにすることなく自分に合った格好をする、明るい発想!
こういうことかな?結果、気持ちが楽、清々しい!
納得感。とても頭に焼きついて離れません。
雨女だ〜のくだりまで考えはしませんが、
結果的に自分が、幸せになる道は?と、自分で決める。
その決めた道を誰かのせいにしたり、誰かに決めてもらったり、環境のせいにしたりしない。
他の決定は、いつまでも痛いですね。
リスクも時には選ぶけれど、それは結果的に私が幸せになるから。
納得感を求める、自分で自分の幸せを選ぶ、責任を持つ、主体性を大切にするとは同義な気がします。
なんだか、レベルアップした気がします☆^_^
脱☆都合のいい女!
まじょらむさんのコメント、検索して読みました。
明るい文面から、女性の力強さを感じました。
深く深く、考えさせられました。
命って、尊いです。
まじょらむさんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
残念ながらまじょらむさんのことは存じ上げなかったのですが、ハーブのお名前ですね。
私も先々月に仲の良かったお姉さん的存在の女性をがんで亡くしました。彼女もいつも明るく芯の強い向日葵みたいな女性でした。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
初めまして。まりまりと申します。
川通り餅さんのコメント、大変勉強になりました。
「冥福」そのような意味や違いがあったのですね。
わかりやすく丁寧に書いて下って感謝しています。
今後おおいに役立たせていただきます。
ありがとうございます。
言葉が見つからない…何から書いたら良いのか…。
わたしの母はくも膜下出血で倒れた末、半身不随ではあるものの一命を取り止めましたが、
母の妹は、昨年脳出血で突然死しました。
父は食道癌で2年の闘病の末、ガリガリに痩せて亡くなりました。
つい忘れてしまいがちですが、死というものは、常にそこにあるのですよね。
以前、同僚の女の子が、夜眠ったまま亡くなりました。
明るく前向きでとても素敵な女性で大好きでした。
27歳、健康マニアで毎年人間ドックを受けていて、何の問題もなしだったのに…。
急性心不全だったそうです。
新婚さんで幸せいっぱいだったのですが、朝、隣で亡くなっているのにご主人が気付いたそうです…。
どれだけのショックだったことか…。
しばらく、夜眠るのが怖かったです。もう目覚めないんじゃないかと思って。
それなのに、また最近忘れかけていました。
毎日を精一杯生きているか、自問自答しなければと思いました。
出来ない言い訳なんてしたくない。
まじょらむさんという素敵な女性が、恋愛のお勉強をされて輝いていたこと、心に刻ませていただきました。
どうか安らかにお眠りください…。ありがとうございました。
まじょらむさんのコメントを読みました
あたしも癌を経験しました
発見が初期だったので、幸い手術のみでその後再発もありませんが
それでも『陽性です』と言われた時の衝撃はものすごいものでした
まじょらむさんのコメントには闘病中だという雰囲気はどこにもなく
癌であると告げられてから、そうなるまでに
どれだけ内なる自分と闘ったのだろうと考えました
大好きな人たちを残していく気持ちや
まじょらむさんを失った息子さんや彼さんの気持ちは…
考えると胸が詰まる思いです
自分の人生に責任を持つということ
わかってはいても
難しい時もあります
ですが
あたしはあたしの人生の面倒をしっかり見ていきたい
そう思います
一度きりの人生を悔いのないよーに
まじょらむさん
安らかにご永眠されますよう心よりお祈りいたします
責任を取るって言葉は、以前は私の中にはなかったです。
なぜなら、全てを他人のせいにしてたから。そして、全てを自分のせいにもしていたから。
何か、悪いことが起きると、私がこうだったからいけない。とまず自分を責めて、それに耐えられなくなり、他に対しても避難していました。
責任とるぐらいなら、誰かが決めたことに頷いて、文句言ってた方が楽だと本能的に思っていたような気がします。
そうすることで、気持ちもどんどん落ちて、口を開けば文句ばかり、そして帰って自分を責め立てて、早くいなくなりたい。などと思ってました。
でも、違うんですよね。
なんというか。
まず、何をするにも自分で決めること。きっとここからなんだと思うんです。
自分で決めて、良からぬことが起こると、なんか笑えてくるんです。
自分を卑下して笑うのではなくて。自分って馬鹿だなぁーと思う反面、それが逆に愛おしくなったり。よし、つぎは失敗しないぞと意気込んだり。どうしたら上手くできるか?考えたり。なんというか、自分で考えてその時できる最大限の思考力で決めた決断だから、受け入れられるというか。そうすると、不思議と人のせいにもしない。潔く自分の非を認められて、潔くつぎに行けるというか。
責任を取るというのはこういうことかな?と。
誰にも頼らないとか、助けを求めないとかそういうことでもなくて。
自分の決めたことで失敗して他人に迷惑かけても、必要な助けをもらうことができることかな?と。そういうのが、責任とることかな?と最近思います。
自分で決めてないこと、他人からやらされてることは、やはり責任をとりにくいです。
だから、まずは、自分の考え、やりたいこと、をしっかり持つ必要があるなぁーと思いました。
まじょらむさん。
ハーブ好きだから、
お名前存じておりました。
そして、Kouさんのこの記事を読んで…。
このハンドルネームの由来…
もしかしたら…
いろんな想いをもって、まじょらむさん自身
名付けられたのではないかと…?
マジョラムは古代ギリシャ人にとって
なくてはならぬ薬であった。
小さな、小さな白い花を咲かせる可愛らしい
マジョラム。
初めてマジョラムをみたとき、
私は心底驚いた。
なんて小さくて、可憐なお花なの…。
そんなマジョラムは様々な症状を治し、
人々にとって
なくてはならない薬草であった一方で
この可愛らしいマジョラムは、
お墓に植えられ、
死者の魂を癒す花でもあったから。
まじょらむさん、
きっと、まじょらむさんは
悲しい時、寂しい時に人々の心も身体も
あたためてくれるマジョラムのような
可憐で、かつ内に秘めたものは強く、
そして温かい
そんな女性でいらっしゃったのでしょう…。
私事ですが、今年の春、とても大切な
恩人のような女性をガンで亡くし
その後、20数年共に生きてきた愛猫を亡くし
生死について考える毎日を送っていました。
そして、マジョラムの精油をね、
部屋に香らせていたの。
まじょらむさんの魂も、きっと…
今も、生き続けているのよね?
だけど、あなたの姿で会えないのが
本当に寂しい。
ただ、会いたい。それだけ。
私はそんな想いで日々を過ごした。
きっと、まじょらむさんの大切な皆様も
あなたに会いたくて声が聞きたくて
涙していらっしゃるだろうな…。
まじょらむさんの魂が
安らかでありますように。
そして。まじょらむさんの大切な皆様の
悲しみが少しでも癒えますように。
そんな事を祈りながらマジョラムの精油を
今夜は芳香させて、あなたの事を想いますね。
まじょらむさんの魂に、届きますように。
私も言ってしまえば特殊です。(詳しくは書きませんが先天的な病気です。治りません。)
病気のせいにすると、自分で納得できないので、すごい辛いのに…悪い癖で時々病気のせいにしてしまいたくなる私がいます(´`:)
心の中で葛藤して、最後には「やっぱり幸せになりたい」っていつも思います(笑)
ネガティブ思考も本心にはかないません。
病気だって、見方を変えれば誠実な人を見極める一つの武器なのかもしれないし。
うまく使えばギャップの一つになるかもしれない。(って今思いついた)
自分をフォローするってこういうことなのかもしれないですね。発想の転換というか。
それにはきっと、そのひらめきが生まれるまで待ってみることも必要だなと思いました。
思いつかないからってポイしちゃうとまた元に戻っちゃいますもんね。
切羽詰まったあまりKouさんに病気のせいなんじゃないかみたいな相談をしてしまったのを日が経つほどに後悔しています…すみません…(´`:)
まじょらむさん、とても素敵な方だなと思いました。まじょらむさんのように私も強く生きていこうと思います。
心よりご冥福をお祈りいたします。
私に必要なのは、この考えです!
まだまだ、前の癖で、何かのせいにしてしまいがちなんですけど…
少しずつ、出来ている!
そして、そう考えた方が、いかに楽しく楽に生きれる事か。
どんな時も、キラキラしていたいです!
まじょらむさんのコメント読みました
涙がとまりません
明るくて、前向きで、恋してて、芯のあるとても素敵な女性
ものすごい恐怖だったでしょうに
進むこと、変わること、勉強すること、夢へ向かって努力することを当たり前のようにされていて
うまく言葉にできませんが、今ここにいられること、深く感謝しています
いつもkouさんがおっしゃるように、そのタイミングには意味があると思います
やっと生き始めた命、もう無駄にしません
きっと天国でももっともっと素敵な女性になられるんでしょうね
ありがとうございます、まじょらむさん、ご家族の方、Kouさん
まじょらむさん、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
まずはご冥福をお祈りいたします(-人-)
以前の私は辛いのを親のせいにしていたな。
確かに楽ですよ。自分は悪くないって思えるから。
でも苦しさからは抜け出せないんですよね。
大人になって変わる努力をして、自分の事をゆるしてあげることにしたんです。
(二重人格の治療みたいですが、「理想の自分」と、「実際の自分」とのかい離を統合していった感じです)
そうしたら世界が変わりました!
うまくできない自分、失敗した自分をごまかすことなく受け入れ、人のせいにしなくなりました。
まだまだなところもあるから、これからですb(^^)d
実は私もガン患者です。まじょらむさんが前向きに生きられておられた姿は、とても自然に感じます。
私は死と向き合うことで、自分に正直になることができて以前よりも今のほうが幸せに感じるのです。
本当にやりたいことを我慢するのをやめ、女性らしく楽しく生きることがすごく楽にできるようになり、逆に毎日楽しいです。
確かに治療は大変ですが
思い切ってやってみる事ができるので、
失うものは何もありません。(笑)
感じ方が全く変わった様に思います。