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「私は幸せになってはいけない存在です」
・・・と言ってくる女性はあまりいませんが、
「私には幸せな恋愛をする資格がありません」
という女性は意外とたくさんいます。
あなたはどうですか。さすがにここまで強烈ではないかもしれませんが、ちょっと心のどこかで思っていたりしませんか。
「私は恋愛には縁がない」とか、「私の人生には幸せのチャンスはない」とか(^^;
こういうのは、もはやちょっとした呪いみたいなものだと思うんです。
呪いなら、解くしかありません。
こちらの記事で自分を許せないことについてコメントを書いてもらっているのですが、やっぱりかなり出てきますね。
「Kouさんが書いてほしいと言ったから出てきているんでしょう!」
と思うかもしれませんが、もちろんそうです(^^;
いいんです。
あぶり出したいんです。
こういう機会でもないと、なかなか出せないでしょう。
ぬばたまさんより:
お腹や胸の奥が重くずきずき痛む記事だった。
わたしも自分を許すことが難しい。
許すこととが「できない」と言うこともできるかもしれないけれど。自分が深く人を傷つけてしまったことへの罪の意識がもう十数年以上ある。
それを綺麗さっぱり無くして、前向きに明るく楽しく幸せに♪を目指しているわけでもない…というか、そういう気持ちになかなかなれない。被害者意識もかなり強かったが、ここ数年は自分の加害者性や過去の過ちに苛まれている。
だからまぁ、「こんな罪深い自分が幸せになっていいわけがない、なれるわけがない」という信念を固く握りしめているわけです。
それを手放せばいいんだよと人は言うかもしれないが、それが簡単にできたらここまで苦悩はしないよと思う。
心が健やかな人から見たら鬱陶しいだろうけど。。女性の価値云々の前に、わたしは自分のことを「人として欠落した罪深い存在」とまで思っている。
でもKouさんのおっしゃることは嘘ではないと信じてはいて、あとは自分がどこまで自分を許せて信じられるようになれるか、なのかなと思う。ゆるせない自分をゆるす
ゆるせない自分をゆるせない自分をゆるす
できないときはもうそれも手放す。
ゆるせないならゆるせないままにしておく短期間で華麗に美しく変容できる人もいるかもしれないけれど、わたしはじめじめのろのろうだうだ鬱々としながらでも諦めない。
非常にイメージしやすいコメントです。
これと同じような事を考えている女性は結構たくさんいるんじゃないかと思います。
わざわざこうやって書いてもらっているのは、こんな感じで自分を責めている人というのは自分以外にもたくさんいて、実はみんな悩んでいるということを知ってほしかったからです。
本当は苦しいんです。
やめられるものならやめたいんです。でも、やめ方が分かりません。
許し方が分からないんです。
分からないのは、自分を許してはいけないというのが、強い信念になってしまっているからです。
ぬばたまさんのこのコメントで言うと、いくつかポイントが見つかりますね。
その一つが、「罪」です。
実際は、何か罰せられるような大罪を犯したりしたわけじゃないと思うんです。
ほとんどがそうです。
自分でそう思っているだけです。
自分で罪を背負っていて、それは死ぬまで一生背負い続けないといけないというくらいに思い込んでいる場合もあります。
この状態で、いくら前向きなことを言われても教えられても、なかなか浸透しないと思うんです。
サプリメントとかと同じですね。
身体に毒素が溜まっている状態では、どれだけ素晴らしいサプリメントや薬を取り入れたところで、ほとんど効能を発揮せずに毒素に飲まれてしまうんです。
本当に効果を出したかったら、まず毒素を除去する必要があります。
デトックスみたいなものですね(^^
「女性の価値云々の前に、わたしは自分のことを『人として欠落した罪深い存在』とまで思っている。」
これはですね、よく分かるんです(^^;
僕自身も自分で思ったことが何度となくあるからです。
ひどくなると、食事をするのでも「私なんかが食べていいのだろうか」と思うようになったりします。
こんな状態で、人から愛される資格があると言われてもなかなか受け入れられませんよね。
ちょっとだけヒントを出しておきます。
罪って、消すことができないからなおのこと難しくなると思うんです。
許すというのは、必ずしも罪を帳消しにすることではなかったりします。
消すことができないものを、一生に渡って厳しく責め立てるのは、本当に大事なことなのかどうかを考えてみるといいですね。
これだけでもかなり楽になるんじゃないかと思います。
あなたはぬばたまさんのように自分は罪深いと思い込んでいる女性に声をかけるとしたら、どんなことを考えますか。
まずは自分ではない誰か別の相手に声をかけることを考えると、自分に対する接し方も分かるようになるかもしれません。

自分の事で言えば、
自分の犯した罪も引き受けて、それでもここから生きていく、生き直していく、という事かと思います。
許す、というよりは…
もっとキビシイのかも。
自分に優しく、許す場合も、
自分にキビシくする場合も、
取る態度は同じかも。
世界に向かって自分を開いていく、
自分を委ねる、自分を差し出す。
罪を犯したなら、自分の罪に目を向けているのではなく、世界に対して罪を償う必要があると思います。
許すのとキビシイのの中間の時だけが、
世界から閉じこもって、自分には価値がないと言うことができるのかもしれません。
たしかに…
罪を背負っていかなくちゃいけない、と思い込んでいたら、人の言葉もはじいてしまいそうです。
自分自身は、こういうふうに感じていないけれど、とてもデリケートなことがらです。
罪深いと思っていることは、人それぞれみな違う尺度であるだろうから、
何が許せないのか、教えてもらうことから始める、かな。
人は、不完全なものだから、
罪深いなどと感じたことは、その先につながるものだと思います。
相手の心からも、あなたの心からも、
罪は消えないかもしれない。
でも罪の償い方を、自分が不幸になる事だと思っているなら、それは違うかもしれないよ。
相手はあなたが不幸になったら、幸せになれると思う?本当にそう思う?
そんな事はないと思うよ。
誰かの不幸の上に、幸せは成り立たないよ。
私は傷付けられた事がある。でも、傷付けてきた相手に対して、不幸になって欲しいと思って生きていない。
私の幸せは、傷付けてきた相手とは別の世界に見つけるから。
ずーっと四六時中、恨んで、憎んで、不幸になればいいなんて、考えてないよ。
私がせっかく幸せを見つけても、その傍らで、傷付けてきた相手がずーんと暗くなっていると、逆にもう開き直ってくれよと思う。せっかくの明るい幸せに暗い影が入るだろ。やめてくれよと。
あなたも逆の立場だったら、たぶん、そう思うんじゃないかな。
相手の幸せに影を落とし続ける方が、罪が深くなる気がするよ。
だから、自分を過剰に責める必要は無いんじゃないかな。やめなよ。
気付いて繰り返さないと決めたなら、それを地道にやっていけばいいんじゃないかな。
私なら、こう言う。傷付けられた事あります。私の方も傷付けた事あります。
みんな、何かしら罪はあります。
消えないけど、だからと言って濃くしたり、深めていく必要は無いと思います。
この記事を読んで真っ先に思ったのが
『罪の内容』とは?
でした。
内容によるなぁと。
人からしたら罪とは言えないようなことで罪深いと思ってしまっているのか、本当に重い罪を背負っているのか。
どちらの場合も根深いですが、内容によってアプローチが全然変わるなぁとは思います。本当に罪深いことをしたなら背負っていくべきかもしれません。思い込みなのだとしたら治療が必要かもしれません。
内容と度合いによるなぁ。
率直に、「罪って思うほどの事って何?」かな。犯罪しない限り「やっちまったなー」程度だと思うんだけど…。
もちろん配慮や気遣いはするけど、100%誰か傷付けずに生きるなんて誰にも出来ないよ。
何に傷付くかは人それぞれなんだもの。こっちがどんなに気遣いしても、傷付いてしまう人はいる。
受け取り方は相手が決めることでもあるから。
だからこそ、助け合いや「そういうこともあるよね」って思いやりの気持ちを自分や大切な人に向けてあげてほしいと思う。
あなたも間違えたり他人を傷付けてしまうことがあるのだから、自分のことも他人のことも同じように優しくしてあげようねって。
人はお互いに迷惑をかけながら生きている。
日本だと「人に迷惑をかけないようにしなさい」と教わることが多いけれど、その対になる考え方として、
「どうせ誰でも誰かに迷惑をかけるんだから、自分が迷惑をかけたときは助けてもらい、他人が迷惑をかけたときは助けてあげよう」
このくらいでいいと思うんだけどな。
ここ最近のブログのテーマって、罪がどうとか、許す、許さないと言うより、「自分責めの思考ループから抜けられない」って悩みな気がします。
そんな時に、周りからの優しい言葉はなかなか届きにくいし、「周りにそう言わせる私が悪いんだ」って、よけいループにハマりやすいかな。
ループって、「原因探し」で自分を守ろうとしてる状態でもあるのかな。
「どこが悪かったか分かれば次は失敗しない」っていう方向に脳が必死で寄ってる。
だから抜けるときに起きるのは、“正解探しをやめる”ことなんだと思う。
たとえば頭の中が
「原因は何?」
「どこがダメだった?」
に行きそうになった瞬間に、いったん別のレーンに移す感じ。
「まあ、そういう日もある」
「出来事と人格は別」
このくらいの短いところで止める。
あともう一つ大きいのは、「評価しない時間」を挟むこと。
良い悪いをつける前に一回止める。
そこで初めてループの外に“間”ができる。
ループの中って、ずっと採点と修正が続いてる状態だから、そこに“無評価の空白”が入ると流れが切れる。
あとは、頭の中で「自分を裁く役」と「ただ見てる役」が同じになってるのを分ける感じ。
責めてる声を“自分そのもの”にしないで、「長年のクセで今そういう思考が出てるだけ」に置き換える。
ループって、正しさで止まるものじゃなくて、思考の流れが一瞬でも途切れることで弱まるのかなと。
そもそも被害者なんているの??
>自分で罪を背負っていて、それは死ぬまで一生背負い続けないといけないというくらいに思い込んでいる場合もあります。
うーん。なんだかすごく分かります。
私の場合、小学生のときのお友達へ、こんな気持ちを持ち続けていました。
親友と呼べるような仲だったのですが、保身のためにいじめに加担しました。
最初は周りの意図に気づかなかったんですけど、途中から異変に気づいて「これはもしかして良くないことなのでは?」と怖くなって。
それと同時に「次はこれが私に向けられるかもしれない」と思ったら、そちら側から抜け出せなくなってました。
だから私はいじめられてもしょうがない。
だから私は嫌われてもしょうがない。
だから私に友達ができなくてもしょうがない。
だから私の人生は上手く行かなくてもしょうがない。
そんな気持ちをずっと持っていました。
>ひどくなると、食事をするのでも「私なんかが食べていいのだろうか」と思うようになったりします。
これは結婚してた頃に感じてました。
元夫に「痩せてほしい」と言われ続け、無理な食事制限を強いられ、痩せてない自分には価値が無いと思ってた。
家に一人でいる時に何かを口にしたら、涙が止まりませんでした。
「私なんかがご飯食べちゃダメなのに」って毎日思ってた。
美味しさを感じたら食べたくなっちゃうから、「ちゃんと味を感じないように」「美味しいと思っちゃダメ」とも思ってました。
>許すというのは、必ずしも罪を帳消しにすることではなかったりします。
ここを読んだとき、ドキッとしました。
無くなることが「許す」ということだと思ってたから、帳消しにしたかった。
特に、相手の中から綺麗さっぱり無くなってくれと強く強く願ってました。
そうすればこれ以上自分の罪を見なくて済む、と。
だから関係性をリセットしたくなってた。
最近気づいたのは、誰かに「それだけ大事だったんだね」って言ってほしいだけ…ということです。
「生きてたらそういうことのひとつやふたつ誰にだってある」
「次はやらないようにしたらいい」
それ自体は言いたいことは分かるんですけど、私はその手前の言葉が欲しかった。
「それを傷つけたことが罪になるくらい自分にとって大事なものだった」
それだけなんです。
それを自分で認めるのも難しいんですけどね。
「じゃあ何で傷つけたの?愚か者!」と言ってくるから。
それから、「帳消しにしたい」と願うのと同時に、「それだけがその人との繋がりだから大事にしたい」と思う心も持っていました。
特にお友達は、今どこで何してるのか分からなくて、でも好きだったその子の中に居続けたいから、「好意的に思われることはないだろうからせめて恨んでてくれ」と。
恨まれることすら望んでました。
けれど、それらが分かったところで、それは返ってこない…。
ここで苦しみが生まれ始めてます。
結局は「次に活かす」しかないのかな。
kouさん
おはようございます
きゅんきゅんです
私は、まずは自分に声をかけました。
朝が迎えられた、それで充分。
外に出る準備ができたね。
いろんな人がいる中に出ていけたよ。
ちゃんと顔を見て挨拶できたよ。
明るく過ごしていたよ。
ニコッとしてたね。
ちゃんと話を聞いてあげられたよね。
できるだけ穏やかにしようとしてたね。
やさしい言葉を選んでいたよね。
自分で自分の機嫌をとれたら、もうそれだけでいいよね。
いろんな人がいるから、生きていたらいろいろあるけど、自分のことができていたらそれでいいのよ。
私に言ってあげたことを、まわりの誰かにも言ってあげたらいいですよね。
みんな同じ扱いをする、だったらそれでいいかな。
コメントした後もいろいろ考えてみてました。
私のコメントの引用になりますが、
>「それを傷つけたことが罪になるくらい自分にとって大事なものだった」
>それだけなんです。
>それを自分で認めるのも難しいんですけどね。
>「じゃあ何で傷つけたの?愚か者!」と言ってくるから。
たぶん、「大事なもの」っていくつもあって、そのときに一番大事なものを、そのときの自分ができるだけの事をして守ってるだけですよね。
自分を守ったからって、お友達が大事じゃなかったわけじゃない。
自分の気持ちを優先したからって、彼の想いを蔑ろにしたかったわけじゃない。
自分を傷つけてでも自分の居場所を死守することが自分を守ることだと思ってた。
記憶を辿っても、やっぱり根っこにあるのは「自分を守らないと」という気持ちです。
そのやり方や表現方法がその時々で異なるだけ。
そりゃ、知識や経験を積んだ今の方が、様々な解決策を思いつくのは当然のこと。
むしろ「何であのときこうしなかったの」と思うということは、それだけ見えるものや守れるもの、できることが増えた証。
自分を守ることで精一杯だったあの頃よりは力を手に入れてるのかも。
ただ、「次に活かす」って、その人やものを踏み台にしてるみたいで、どうしても前向きに捉えられないなのですが……
ここも向き合い方次第なのかな。
なんかふと、ユーミンの「青春のリグレット」という曲の歌詞を思い出してしまった。
私を許さないで 憎んでも覚えててって、どんだけ傲慢なん…??ってツッコミを入れたくなるんですよね。。
生きていると傷つくことも傷つけることもあるわけで、言ってしまったことややってしまったことに対してはもう取り返しがつかないのだから、その後に自分が出来ることって、もう相手の人の幸せを遠くから祈ることだけなんじゃないだろうか。
そして、自分が幸せだろうと不幸だろうと、その人にはもうなにも関係ないわけだから、自分は自分の幸せを求めて生きていけば良いんじゃないかと思うんですよね。
#あなたはあなたの一番の味方 #自分を大切にする #自分を愛する
黒歴史をひとつ浄化させて欲しく。
昔の私は「私ってかわいそう」が癖になってたように思います。
私が全部悪い、出来ない私が不憫、みたいな。
そうしていると、誰かに「そんなことないよ」って、言ってもらえたという、ある種の成功体験をしていたからなんだと思う。
カウンセラーにコーチングしてもらった時に、「まるで悲劇のヒロインだね (笑)「リクさん劇場」を一人で演じてるだけなんだよ」って、言われてハッとしました。
周りからはそう見られてたんだなって。
おかげで、すぐ友達に泣きながら電話をかけ、逃げられるを繰り返していた構ってちゃんをやめるいいキッカケになりました。
自分責めから抜けられない時は、思い出すようにしている出来事です。
すごい怖いことに気付いてしまったのかも…。
自分責めのループにハマるのって
意味をちゃんとつけないと悩みが無駄になる、
次にいかさないと意味がなくなる、
ちゃんと扱えていない気がする
そんな思い込みな気がする。
コスパ悪いとか、元を取らなければとかって考えに似てそう…。
全ての出来事に無理に意味を求めず、
「あの時はただ、こうだったな」って思えるようになりたい。
勉強になったと思えるような意味付けをしなければ、なんて思い込みもあるのかも。
これ、自分自身のパンドラの箱あけたかもしれない。
これを書いてる今も、心が捲られるのが怖くてゾクゾクしている。
大事にしたいからこそ、回収し続けてしまう動きなんだな。
「悩みは大切な財産だから、意味のあるものに整えなければいけない」
これがあると、
この出来事から何を学んだ?
次に活かせる?
無駄になってない?
原因は何?
誰が悪い?
って探し続けることになる。
しかも根っこは怠けや逃げじゃなくて、
「せっかく苦しんだんだから無駄にしたくない」 「ちゃんと成長したい」 「勉強したい」
という真面目さなんだよね。
だから自分責めする人って、案外、自分が嫌いだから責めてるんじゃなくて、
悩みや苦しみに価値を与えようとしすぎているのかもしれない。
そして、
「意味のあるものに整えなければならない」
があると、
「まだ意味が見つかってない」
↓ 「まだ考えなきゃ」
↓ 「まだ終われない」
になる。
「全ての出来事に意味なんか見いだす必要ない」
って発想は、このループを根元から揺らすものに見える。
「あの時は助けられなかったね」
「あの時は悲しかったね」
「あの時は腹が立ったね」
それだけで終わる出来事もある。
勉強にならなくても、 成長に変わらなくても、 教訓にならなくても、
起きたことは起きたこととして存在していていい。
だから今私が感じているザワザワは、
「自分責めをやめるのが怖い」じゃなくて、
『苦しみには必ず意味を見つけなければならない』という長年の前提が揺れている怖さに近いように見える。
それだけ大切な思い、出来事だったんだよね。
それ以上でも、それ以下でもないよ。
深掘りしすぎてコメント書きまくってすいません 汗
書けば書くほど宝の山がザクザクわいてくる感じです…。
『あなたはぬばたまさんのように自分は罪深いと思い込んでいる女性に声をかけるとしたら、どんなことを考えますか。』
自分ならどうされたいか?どういう言葉をかけられたいか?のほうが、考えやすいかもしれないなぁ。。
10年以上もの長いあいだ、おそらく、たったひとりで苦しみに耐えながら、罪だと思われてるものを、常に、抱えてこられてたことだと思うから、勇気を出して、打ち明けてもらえたということへ、まずは、どうもありがとうと言いたいです。
ただ、苦しみや辛さというものは多いに伝わってはくるんだけど、詳しい詳細がわかってないうちは、当の本人の苦しみの深さなどは本人にしかわからないことだと思ってるので、こちらからは、得に積極的にあれやこれやと言葉はかけられないなと感じてます。
だから、まず、本人がもっと詳しく言いたいことが出てくるまでは、気長に待ちます。
そのときに、ここにいるからね、いなくならないからねと、私は決して怖くない人よ(笑)などとは伝え、ただ傍にいるだけで、こちらからは得に何も言わず、聴くに徹します。
これだけ長いあいだ、罪の意識で過ごされてこられてたということなので、、最初は、なかなか、これまで抱えてこられてた心の内の全てを吐き出し、全てを打ち明けてもらえるまででも時間はかなりかかるかもしれないとは思います。
ここへ到達するまでは、やはり、ひたすら、聴くに徹するだなぁ。。
もし、最終的に心を開ききってくれたり、そうなれたときには、、、。
長いあいだ、辛かったよね、しんどかったよね、苦しかったよね、よくひとりでここまでがんばってきたね。。
あなたのこれまで抱えてきたもの、もし、それがほんとうに罪だったとしたら、あなたはもう、その罪を、充分償えるくらい、多いに苦しんできたのだと思うんです。
だから、もう、そろそろ解放してあげませんか?
そして、本当はね、この世に、罪をおかしてる人なんかひとりもいないんじゃないかなぁって。。
でも、つい過ちのようなものを、犯してしまうっていうことはあるのかもしれないね。。
ただ、その人たちは、好きこのんで、過ちをおかしたわけではないと思うんです。
あなたもそうじゃなかった?
だから、あなたが傷つけてしまったと思ってた、相手の方も、あなたを、罪人だとは、思っていないと思うんです。
だから、苦しむのは、今日までにしませんか?
もともと、罪というものはないんですよ。。
この世に、存在してないんです。。
私は、こう思っているんです。
だから、もともとないはずの、自らが、作りあげてしまった、『罪』という感情は、いまここに気付けた瞬間に、解放してしまおう。
そして、本来の自分を取り戻そう。きっと、取り戻せるはずだから。
つい作りあげてしまった『罪』を手放せたら、、あなたの本心は、心から救われ、きっと、まるで生まれ変われたかのようになれると思います。
「出来事そのもの」を深掘りするすると、どうしても行き着くところは「自分責め」になりやすいと思うんですよね。
なぜこうしたの?
あの人は何でそう言ったんだろう?
私どうしたら良かったの?って。
だから罪のように苦しくなるんじゃないのかな。
すごい辛い生き方ですよね。
出来事を深掘りするのではなくて、
「自分自身の考え方のクセ」を見つけるために深掘りすると、
抜け出すヒントが見つかるんじゃないでしょうか。
私の場合は
「悩みは糧にしなければ無駄になるのでは」
「私ってかわいそうって、悲劇のヒロインになっていれば誰か優しい言葉で助けてくれる、だから助けを求め続ける」
というクセが辛くさせていました。
でも、物事をあるがままに終わらせることが、気持ちを軽くするんだなと思います。
あの時はあれがベストだった。
あれがお互いに最善だった。(誰の事も責めない、過去を責めない)
あの時はこう感じて悲しかったよね。(その気持ちのまんま、そこにあっていい)
それ以上の教訓や意味は、あってもなくてもいい。(全てに意味を求めない)
大切な思いだからこだわってしまうのはよくわかります。
ただ、そこから抜け出そうと思うかどうかも本人次第かなと感じます。
自分責めをやめることが出来たら、見える景色が変わると思います。(*^^*)
そうですね。
まず、罪について考えてみます。
これは。
どの程度の物を罪と認識するか?が、まず人それぞれなのかな?と。
書いちゃいますが、先日、父を騙すようにして入院させました。
それは、家で介護するに耐えられないと感じたからです。処方された薬を長期間、本人が嫌がって服用しなかったことが病気を悪化させていました。
例えば。
妹が他界しました。もう随分前になります。自ら断ちました。
このことで母は今だに罪の意識を感じているようです。助けてあげられなかった、と。
わたしはその呪縛から逃れましたけど。
他の人が何を持って罪と感じているのか、まず聞ける機会があるなら
アドバイス、と言うより、ただただ聞く、、、ようにするかなぁ。
吐き出すことがひとつの浄化になると思うんですよね。
本当の意味で起き上がるのは自分しかできないから、掛けてあげたい言葉は簡単には見つからない。
罪という言葉は重いなぁ。
人はそれぞれ、実はいろんなことを抱えてるんだな、と思えたら、少し楽になる、、、ような気がします。
自分の罪を振り返ってみると、
半年に一回くらい、言っていい事と言ってはいけない事が、ビミョーな時があるかも…
気をつけないとなぁ。ノリとかで思った事パッと言っちゃうとこあるからなぁ。。
“あっヤベッ”と思った時には遅いよね。
発言には気を付けます。
少し前に「遅刻癖がある人は罪悪感が強い人」というような言葉をXかなにかで見ました。
私は昔から遅刻することが多いです。
待ち合わせ時間から逆算して起きる時間や家を出る時間を設定、準備している途中でも何度もアラームを鳴らして時間通りに家を出るよう頑張っても微妙に遅れたりするし、Googleマップの案内通りに待ち合わせ場所の直前まで行ったら行き止まりになっていて、目の前にその建物は見えているのに泣く泣く来た道を戻ったりしたことがあるので、自分でもこれはもう悪癖?というか、そういう星の下に生まれたのだから仕方ない…くらいに思っていた節があるのですが、この言葉を見てとっさに思ったのは「え?罪悪感?やだ!そんなのいらない!」でした笑
そして不思議なことに、それから遅刻することがだいぶ減ったような気がします。
おそらく、生きていて罪のない人間はいないと思います。
『罪』と、気づけるなら良いのです。
『罪』を気づかないまま生きている人間は、沢山いますからね。
わたしは、子供の頃に
『自分が産まれたことが罪だ、人間などに産まれたくなかった』と思いながら、生きていました。
それでも、生きて行くには、今まで生きてきたのは、それだけで無数の命のおかげでもあるのです。
自分が生きるために、使われた命があるから。
だから、わたしは生きているのです。
『罪』を許すというよりは。
『自分の味方は自分がいる』という考えのほうが、受け入れやすいと思います。
だから
『せめて自分だけは自分の敵になって苦しめてはいけない』のです。
それを考えるだけで、わたしは少し気持ちが楽になり、今もやっと(^^)毎日生活を続けることができています。
愉快でもなくコメントもしづらい内容のコメントを取りあげていただき、ありがとうございます。びびり散らかしております。
Kouさんの策にまんまと嵌りました。
引用された自分のコメントを客観的に眺めるのは、ただコメント欄に並ぶ自分のそれを読み返すのとは別の感覚が生まれる。
まだ色々整理がついていません。
自分の中で、2ミリくらい変化がありました。
言葉にまとめるには時間がかかりそうです。
コメントはゆっくり読んでいこうと思っています。
今はお礼のみにとどめさせていただきます。
Kouさんと皆さまに(わたしのためでなくても)、ありがとうございます。
kouさん
こんばんは
きゅんきゅんです
私ね、さっきあたたかいおふろに入ったきました。一日の終わりのこれがあるだけで、寝るのがらくになるんです。
今晩も、「いいゆだったなぁ〜」です。
毎晩まいばん、次の日のために自問自答してきたんです。どうにかして、何とかしたい、だからもがいてきたんです。
それをポジティブに変換できる術を持っている私です。
スーパーポジティブな女神です。
頭の中お花でいっぱいな女神です。
もうね、飛び出したんだからね。
後ろを見てる場合ではないんです。
私のために、書き込みました。
この場があってよかった。
kouさんそしてみなさま、
ありがとうございます。
明日もなんとかするよ!
kouさん、見守ってくださいね。
大丈夫だけど、ちょっと揺れてるから。
自分ではない、他の人に向けて声をかけるとしたら。
もう反省してるんだし、そんなに責めなくてもいいんじゃない?って感じかな。
反省していて、もう次からこんなことにならないようにって思えている時点ですごいのでは?と思います。
本当に悪い人は、そんなふうに思うことはないと思うので。
逆ギレして呑気にパフェ食べてても普通にちゃんとした人扱いされながら(羨ましいw)生きている人もいる位なので、もっと気楽でいいのかなって思います♪⌒(ё)⌒♪