
←この記事をお気に入りに追加します。あとで読み返せます。Kouです。
疲れ果てています(^^;
疲れ果てている人が多いんです。
あなたもそうかもしれません。
何かものすごく働かされたとかじゃないんですよね。でも疲れているんです。
身体が疲れているように見えて、本当は心が疲れています。
僕が言いたかったことを、ものすごく分かりやすく表現してくれているコメントを見つけたので、ちょっとシェアします。
池さんより:
毎日自分を責め続けて疲れています。
本当にこれが辞められるんだったら、もう何もいらないです。昔したことというより前日、数時間前、数分前、この瞬間した/してることを振り返って常に責めています。なので毎瞬間、自己嫌悪(?)が言うことが証明されて強化されていくような感覚です。
笑った瞬間、楽しくし過ぎちゃったんじゃないか、自分の笑顔とか気持ち悪いと思ってしまいます。
頑張って残業した帰り道とかも、もっと手際良くやれよ、残業代盗んでる、と職場目線で自分を責める声が勝手に流れます。
相手の話もっと聞けばよかった、自分のことばかり考えてる、と思うことも多いです。
こういう自分の、自分を責めてしまう性格について考える時も、「自意識過剰なんだ」とまた自分をひどく責めます。
何か嫌なことがあったりすると、きっとバチが当たったんだ、と思って、その嫌なことに値すると本気で信じます。
書いていると、この考え方が行き過ぎてるということは頭では分かります。実際、今書いたような責める言葉を毎回頭で言語化して声に出して自分に言っているのではなく言葉にするよりも早く、身体全体で感じてます。
コメントの最後の一文が重要です。
そうなんですよね。
自分からいつもひどい言葉をかけられているというより、言葉にならない何かの圧をずっとかけられている感じがするんです。
池さんの場合、ほぼ四六時中ずっと自分を責めているような感じですよね。
これは苦しいでしょう。
なかなか抜け出せないんです。どうしたらやめられるか分からないから困っていて、本人が一番辛いんです。
やめられるかどうか出いえば、やめられます。
安心してください。間違いなくやめられます(^^
ただし、ちょっと時間はかかると思います。
それでも、ずっと責め続ける人生のままよりは、「責め手」を少しずつ緩めて自分に優しくなれる方がいいですよね。
そのヒントを出します。
実は、ヒントのヒントがコメントの中にはたくさんあるんです。
いつも言っていますよね。
問題のヒントは、問題文の中にあるんです(笑)。
そのヒントというのは、これです。
「もっと手際良くやれ」
「相手の話もっと聞けばよかった」
自分の中で、こうじゃないといけないと思っている何かのルールや基準みたいなものがあるんです。
そしてそれに達していないとみるや、怒涛の自責が始まるんです。
実のところ、「もっとこうしてやればよかった」という発想自体は、かなり多くの人がしています。
それが毎回ひどい自責にまで繋がる人と、そうじゃない人がいて、それは基準に対する感覚の差なんじゃないかなと思います。
この感覚の差というのが曲者です。
自責に繋がらない人は、「もっとこうしてやればよかった」というのが、ただの理想という認識なんです。
一方、毎回のように自責に繋がる人は、「もっとこうしてやればよかった」というのが、理想というよりは最低基準の義務ような感覚になっていて、それがいたるところに罠のように張り巡らされているんです。
だから、一歩進んだ先で最低基準の義務を果たせなかったら、それで罠にかかって痛い思いをします。
さらにもう一歩進むとそこにもやっぱりハードルがあって、「やっぱりお前はできてない!」と言われて罠に苦しむんです。
これが、四六時中自分を責める人の頭の中のカラクリです。
これが分かるだけでも、突破口のようなものは少し見えてくるんじゃないかと思います。
そもそもそんな罠をいたるところに配置しておかなくていいんです。
ここが重要です。
罠というのは、本来は設置されているものです。誰かがあなたを陥れるために設置したものだということです。
でも、四六時中責め苦を受ける人は、自分で罠を設置しています。
自分が引っかかったら足首を噛まれてめちゃくちゃ痛いはずの罠を、無数にそこら中に設置しているわけです(^^;
隣を見ると、床には何もないんです。
しかし、あなたの床には一面にトラップが敷かれています。
そんなの嫌じゃないですか(^^;
トラップの代わりに、お花でも置いてみたらいいともいます。
癒やしが必要だと思うんです。
罠と言いましたが、正確には無数にハードルがあるような感じかもしれません。とにかく進む先に常にハードルが用意されていて、それを超えられないから苦しくなるんです。
ハードルがないところだってあっていいと思いませんか(^^

「自己肯定感の高低」「自信の有無」
の他に、
「自己評価水準の高低」もいうのもあるのだと、とある漫画で知りましたわ。
私はまさに、そのタイプですの。
自身に課している、合格ラインが高すぎるのですわ。
池さんも、同様の状態かはわかりませんけれど、私はコメントを拝読して、そんなことを思い出しましたわ。
わぁ、わぁ、わぁ、苦しい。と思って池さんのコメントを読んでいましたが。
確かに、Kouさんのいうように、こうすべき、こうでないと、と自分でハードルを高くしているときは、やることなすこと苦しくて、自分で自分の首を絞めていた気がします。
別に誰からも頼まれてないんですよね。そのレベルを求められているわけではないんです。ただ、自分が思い込んでいる、自分で勝手に設定したハードルなのですが、そのせいで四六時中苦しい思いをするんです。
ニコニコ楽しそうに過ごしている人を見ると、なんで私だけこんなに苦しいの?と思うのですが、それもそのはず。自分で自分を追い込んでいるだけでした。「ええやん!もう!」と思って、こうすべき、こうでなければ、を自分の中から取っ払ってみたら、あら不思議。付き物が落ちたみたいに、楽に生きられるようになりました。
ぜひぜひお花を置きましょう。
kouさん
こんばんは
きゅんきゅんです
池さまも、kouさんもすごい文章力!
半年前の私もそうでした。
自分の目、そして勝手に想像して作った他人の目が、私の棲家のそこらじゅうにありました。
もうどうしようもなくて…。
kouさんが大丈夫とか、直せますとか、変えられますなどと言うから、kouさんの言葉を本気で信じることにしたんです。
それでね、うまくできなかったときはkouさんに質問して、解るまで応えてもらおうと決めました。
諦めない人が大好きなkouさんです。
そんな女性を放っておきませんよ。
やさしい女性たちがいます。
わたくしのおすすめは!
お花を飾ることです。
なかなか寝られないときのおともに。
朝、なんだか元気が足りないときに。
お茶の時間に。
私も自分に厳しくしてきたから、カラクリがわかるまでは、どうしたらいいのかすらわからなくて辛かったな。
自分では「次にいかして良くなりたい、
自分を好きになりたい」と思って、
そのための反省会をしてるだけのつもりなんだもん。
なのに、考え方のクセではなく、
出来事ばかり見ているからどんどん自分責めになる。
それが辛くなると「私は悪くない!」になって。
問題そのものより、自分の思考グセが辛くさせているということを知らなかったから。
>自責に繋がらない人は、「もっとこうしてやればよかった」というのが、ただの理想という認識なんです。
そうですね。
反省はします。こうすりゃ良かったかしら?と。
でもそれだけなんです(笑)
罪だー!なんてラベリングしたら、わたし罪だらけで生きていけない(笑)!
一番の味方は私、優しくしてあげたいから。
あの時はあれが最善だったのよねー
そう感じたんだよねー
まずはそれでおしまい。
被害者、加害者を作る前に、出来事を反芻することを辞める。
そしたら、次は気を付ければいっかーでおしまい。
何でも学びにしなければ、と思い込んでいるのにも気付けたので、
厳しい見方を緩める方向を意識付けてますかね。
自分で自分に厳しくしていたら、それこそ日々が辛いんじゃないかと思います。
何か起きるのが怖くなって、それこそ家から出るのもしんどくなるかもしれません。
お花、私も買いますよ~
すごい凹んでる時は、ガーベラを一輪。私のために買います。
私が落ち込んでて、泣きそうな顔で店の外からお花たちを見ていたら
店員さんが「良かったら中へどうぞ」って、言ってくれて。
一輪でもいいのかな?
花束買うお金はないんだけど、いやがられるかしら?
とビクビクしながら買いました。
DAISOの一輪挿しに活けて。
お花見てるとボロボロ泣けちゃって。
私、がんばったじゃんって。
責める声って、それがクセになってるだけだとおもうんです。
相手が本当にそう言った訳じゃない。
自分で作り出した幻なんです。
そんなに厳しくしすぎたら、池さんかわいそうだよ。
がんばってることも、同じくらいあるはずなんですよ。
「ない」と同じくらい「ある」も存在している事、気付けたらいいですね。
そんなに…
私の感じていたものとは、また違う苦しみだと思いました。
それは苦しいですね。どうしてそんなに自分に厳しくなってしまうんでしょう。。
それだと、何をしても、何もしなくても、ずっと苦しいままになってしまいますね。
以前の私は自分に厳しくて苦しかったわけではありませんが、苦しくてたまらなかった時期は、いざ自分を癒そうと思っても、じゃあ何をすれば私は嬉しいの?何が私にとって癒しになるの?と迷子になった事はあります。
その時にやってみた事は、紙に書いてみる事からやりました。
その日あった嬉しかったかもしれない事とか、食べたいと思ったかもしれない事とか。なんでもいいから、かも?を無視せず、日記に書いていきました。
すると、かも?が、かも!になって、最後は、間違いない!私これが好きなんだ!って、認識出来るようになりました。
それから書いた事を一つずつ現実にやっていってみたら、やっと嬉しく感じる事が出来たんです。
苦しい時って、自分の事なのに、自分が何をすれば嬉しいのか、楽しいのか、分かんないですよね。
だから、自分を知る事からするのが良いのかなぁ。
記事と関係ないですが、
実は私もお花飾るの好きなんですよ。
愛犬の祭壇に置いて、季節の花にも詳しくなってきました。
切り花ばかりで、最近は暑くなってきて、保ちが悪いです。水の量とか栄養剤みたいなのとか、結構調べてるけど。どうしたら長持ちしますか?
ここで聞く事じゃないけど。笑
池さん、とっても共感します。。
>毎日自分を責め続けて疲れています。
本当にこれが辞められるんだったら、もう何もいらないです。
>書いていると、この考え方が行き過ぎてるということは頭では分かります。
わかっているからこそ、苦しいですよね。
ただただ、共感します。
これは… とてもつらそうです。
これがやめられるなら、もう何もいらない、とおっしゃってらっしゃいますし…
ほんとタイトルどおり、癒しが必要、なんだと思いました。
わたし自身もなんでこんなこと…と思うことはもちろんあるけど、その捉え方の違いなのね。
へこんだりすることももちろんあるけど、そんなに責め続けてはいないし。
でも、やっぱり自分に高いものを求めているように思います。
できない自分から考えたら、できるようになれば、できたことはすごいことなんだけど、
たけど、それはすごいことじゃないから、そう捉えられない。
できて当たりまえ、のことだから、できなかったら、ありえないわけで。
使えないとレッテルを貼られているスタッフに感じること、に似てます(笑)
できてることはカウントしない、全く見ていない。
あたりまえでも、なんでも、そこに価値を見れないと、ダメしかでてこないから、
しんどいくて、いいこともできなくなるのかな。
捉え方を変えていくのは、時間がかかるとは思うので、
お花でも置いたらいいのかも、これリアルに。
自分の考え方に頼らず、
物理的な美しいものなどを利用して、否定をしない時間を作る、みたいな。
青い空を見るとか、輝く緑を見るとか、まぶしい光、そよ風を感じる、とか。
とにかく、それに集中する。
書くの楽しいですよね!
ロフトでお気に入りになりそうなノートを探して、書くのも好きなんです。
お花の茎の先端、水につける方をですね、ハサミで斜めに切ってみてください。
水を吸う口なので、常に新鮮に保つんです。
そうすると持ちが良くなります。
あなたには、こんなに沢山の仲間がいるじゃないの…。あたしは羨ましいよ。
わかるよーっていっしょに悩んで、共感して、他の方法を考えようとしてくれる人達が。
池さんの言語化能力、凄まじいですね!
私も最後の一文を読んで、胸がキュッとなりました。
あ、これだ、って。
ひとつひとつ紐解いたら「あのときこうやって責めてた」と振り返れるけど、実際は反射的に自分を責めてて、それを瞬時に感じ取ってるんですよね。
だからその場でグッ……と心身が重たくなって、頭が働かなくなる。
>一方、毎回のように自責に繋がる人は、「もっとこうしてやればよかった」というのが、理想というよりは最低基準の義務ような感覚になっていて、それがいたるところに罠のように張り巡らされているんです。
Kouさんと私は脳みそを共有してるの?と思うくらい的確で、衝撃でした。
そう。「理想が高い」んじゃなくて、「できて当然のはず」なんです。
それを理想が高いって言うんだよと言われるかもしれないけど、そうじゃなくて…(T^T)
「だってみんなはできてるじゃん」が真っ先に出てきます。
もうね、右に行けば「左に行くべき」という罠があって、左に行けば「右に行くべき」という罠がある感じ。
じゃあ何してもダメじゃん!!!
そりゃ、しんどくもなります。
まずは「自分ってそうなんだ」と知ること。
何でもそうですけど、“認識する”って本当に大事ですね。
分かるだけでも少しだけ角度が変わる気がします。
お花畑の中を歩きたいわぁ〜〜〜
4月終わりくらいから仕事で余裕がなくなったせいか、ブログからもメルマガからも離れ、久しぶりに戻ってきました。
会社でぷちっと線が切れて、いい年して6時間程泣きっぱなしで迷惑と心配をかけ…久しぶりの大崩壊。
みんな大変って分かっているから、抱え込んで何も言えなくなっちゃっていました。
気を取り直して頑張ります!
さきほどのコメント、失敗したなと思ったのでもう一度。
昔の苦しかった頃を思い出して、その頃に引き戻されないように、少し明るい調子で書いてしまいました。ちょっと失敗。
「さっきのはスマートじゃなかった」
「もう少し寄り添って聞いてあげるべきだった」
「今気づいたの、もっと早くに気づけたはずでしょ」
「動きが悪い」
「こんなことで動揺するなんて格好悪い」
「ちゃんとして」
「なんでさらっと聞き流せないのかな」
などなど、自分の中できつい言葉を日常的に感じてました。思い返しただけでもきつい。しんどいですよね。
早速お相手して下さってありがとうございます!
リクさんもロフトユーザーなんですね!
私もロフト好きです。出す相手いないけど無駄に便箋とか買ってしまいます。笑
水揚げは毎日していて、なのでやっぱり今の感じが季節的に限界なのかなぁ。冬と比べるから早く傷むのが悔しいのかも!笑
カーネーションとかは冬だと2、3週間保ってたのに、最近は1週間いかないくらい。。
でもほんと、こうしてお花に関わってみると、こうかな?ああかな?って。
お花は毎日変化があるから、この変化を見るだけでも、自分の中の何かが変わりそうですよね。お花買う時は、まだあまり開いてないのを買うようにしていて、何日かして開くのを楽しみにしています。それが開いてきた時は”はぁ〜キレイやわ〜”って、それこそ癒されます!
よし…記事と関連付けが出来たぞ。笑
池さんのコメント、私と似たような方がいるんだなと思いました。
常に何か緊張しています。
うまくやらなきゃ、と思っています。
でも私一人ではないんだな、と思って変に安心しました。
自分のことだと苦しくなりますが、他の人なら「そんなに責めなくていいよ」と言ってあげられます。
それを自分にも声かけしてあげれば良いんですよね。
ところが…
ここ最近、周りが総動員で私を癒しにかかってきているみたいです。
イケボの部長に温かい言葉をかけられ、業績良くなかったはずなのに何故か評価は良く、ピアノの先生に褒められ、何でもない日なのに突然お菓子を頂きました。
あれ、世界が優しい…?と感じました。
この温かくて軽い感覚、定着させたいなと思います。