
←この記事をお気に入りに追加します。あとで読み返せます。Kouです。
格好のコメントが続きます(^^
メチャクチャいいです。多分、僕はこの反応を待っていたんです。
昨夜こんな記事を書きました。
すももちゃんから新たなコメントを頂きました。あえて全文掲載します。
すももちゃんより:
持論ではありませんよ。
経験論ではないでしょうか。私だけでなく。
誰が女をすてていると?お会いしたいくらいです。
そして、スカートとワンピースは大好きです(*^_^*)先ず、KOUパパ、
子どもを保育したことがないと理解できないかもしれません。
そして、「今の幼児の”一日”を知っていますか」
ということです。”私の母も” ”僕の母も” スカートしかみたことない・・・
いつの時代の話ですか?ということです。「今の幼児の一日はどんな24時間か」
想像してください。実際見れる人はみてください。
今の保育園や幼稚園はどんな保育をしているか、ご存じですか。
僕の時代~~~、約30年前の幼児、20年前の幼児、
40年前の幼児、全て環境が違います。
KOUパパの幼児期は、勝手に外で走り回れた時代だったのではありまへんか?
平日も、土日も、友達さえいれば勝手に夕方まで(ここまでの時代ではないでしょうね)子どもだけで遊びほうけ” られた”時代ですよね。 こんなであれば、
母親はスカートをはいていても当然家事くらいはできますね。 所が、今の高校生が幼児期だったころくらいから、
話が違ってきますね。
「子どもが集まる集団へ入れても、豊かな遊びができない時代」(危険を回避するしかない保育・親が喜ぶ保育しかしない) 「子どもだけで外で走り回れる時代ではない」(
6才過ぎても就学しても常に母親が付き添う形での外出) 当然、こうして暴れてきたからこそ、今の大人があるのです。
遊びなくしては人間は育ちません。KOUパパのいう、 下らない男を増産させる要因になります。
遊びなくしても、食べさせて寝せれば体は大きくはなりますよ。では目に見えない精神は?実際の知能は?ということです。 だから、
◎自然の中で走り回るのは父親だけではでは足らない時代
ということです。自分の無意識で、父親の役目をしているわけではないよですよ?
これは今子育てしている人にしかわからないでしょう。 刷り込みでもなんでもありませんよ。
スカートで育児をしたこともありますよ。
スカートでどうやってブランコにのるのです?馬跳びをするのです?
これは父親だけの役目ではありません。
パンチラをすべての人にしたくもありませんし、家事だってしにくいです。 フレアスカートをはいて掃除機をかけていると必ずスカートを吸い 込みます。 おかしいのは、「育児が無事終わり、
スカートに戻すことが難しい」
ということです。どうしてこうした持論になるのか?女はそんな弱くありませんよ?
私はパンツスタイルでも女を忘れていませんでしたよ?
3人産んでもスタイル維持していますが何か?
全員就学させてから、今、スカートにワンピース、ピンクを着ていますがなにか?
KOUパパが毎日毎日、まーいにち女性の承認で承認してくれるから、 まさかピンクはダメだろうと思っていましたがそれも難なく着られ るようになりましたよ? どうして、6年間、パンツになると、
スカートをはけなくなるのです?
この考えが理解できないですし、こういう風に考えるから独身の女性にしか伝わらないのです。 スカートに抵抗がある女性というのは、
10代の時も20代の時も、 スカートをはきこなすことができなかった女性だと思いますよ。
私はさんざんKOUぱぱに報告してきたとおり、~~~ですから、はきこなす”感覚”はいつでも取り戻せるのです。
女になれるのです。
そして、男がスカートをはいてほしい感覚も知っています。知らないわけではないのです。 育児中は何がなんでもパンツ!!ではなく、それこそ100・
0で考えず、短絡的にとらえてはいけないのでしたよね。 6歳までは女を忘れるのではなく、 子どもが十分に伸びきれるように安全に楽しく能力を出し切って遊 ばせるのが本当の女だと思うのです。
下らない男を増産させないために。
下らない男に引っかからない女にしないために。そういった”感覚”がわからない・できない・
女になりきることができない女性に良く教えてあげるのがKOUパ パの役目ではないでしょうか。
これに、「子ども」を題材にしてはいけません。ということです。女になる事を教えたかったら、
子ども以外の題材にしないといけません。 時代が違うのです。
僕の今いる場所は結構な都会のはずですが、夕方でも何でも、結構な数の子供が走り回っています・・・
ひどいときは暗くなってからもいますね。
時代は関係ありません。
時代や環境のせいにしてたら、無限に理由が作れるんです。
僕が子供だった時代であれ、親が子供だった時代であれ、あるいはそれが現代であっても、親や子供の心理なんか一つも変わらないのです。
確かに時代によって周辺環境は変わってきているのでしょうが、それに流されていたら何も考えていないということになってしまいます。
時代が違うから、思うように子育てできない。
環境が許さないから、自由に子育てできない。
今の日本人は、やはり発想がおかしいのです。子育てでも何でも、国や環境のせいにしたがります。
これは国が過保護な政策をとってきたからそうなっているんですが、これに飲まれていたら、本当に流されっぱなしで人生で終わりますよ。
自分の無意識で、父親の役目をしているわけではないよですよ?
これは今子育てしている人にしかわからないでしょう。 刷り込みでもなんでもありませんよ。
スカートで育児をしたこともありますよ。
スカートでどうやってブランコにのるのです?馬跳びをするのです?
これは父親だけの役目ではありません。
パンチラをすべての人にしたくもありませんし、家事だってしにくいです。 フレアスカートをはいて掃除機をかけていると必ずスカートを吸い 込みます。
自分の意思でそうしたいのならそうすればいいんだと思います。
「私は私の意思で、パンツの方がいいからそれを選択している」と自分で納得できているのであればいいのです。
でも、そうせざるを得ないから仕方なくそうしている(仕方なく男親の代わりをしている)のだとしたら、それは流されている証拠だと言うことです。実際こういう人の方がはるかに多いと思うのです。
男親がやればいい仕事を、自分で納得して(というか「好き」で)やっているのなら、誰も文句は言いません。
問題なのは、男親の仕事を肩代わりしておきながら、一方でそれは「やらされている」と思っている人が多すぎることです。
「スカートでどうやって~」は、全部難なくできるはずです。
こんなものは男の僕が言うまでもなく分かることです。できない理由も、作ろうと思えば無限に作れるんです。
嫌ならやらなければいいのだし、やりたいのならそれができるスカートを選べばいいのです。
どうして、6年間、パンツになると、
スカートをはけなくなるのです?
この考えが理解できないですし、こういう風に考えるから独身の女性にしか伝わらないのです。
これはすももちゃんの場合は大丈夫でも、僕のところに相談を持ってくる女性を統計的に見るだけでも、そういう傾向が出てくるということです。慣れからの脱却は普通は難しいんですよ。
前の記事のコメントを見るだけでもよく分かります。謎の周りの圧力なんかもあったりするわけです。
むしろすももちゃんのように、そこまで男性心理を分かっていて、長くパンツを履いていたところからスカートに切り替えることに抵抗がない人の方がレアケースなのです。
最後にもう一度言っておきますが、時代は関係ありません。
時代や環境を理由に、自分の本当にしたいことをやめるのは、逃げみたいなものです。
「昔とは違う、そういう時代だから」
という考えが頭をもたげてきたら、危険信号なんです。
以前こんな話をしました。これと同じなんです。
時代のせいにしていたら、いつまで経っても流される人生のまま終わりますよ。これは子育てとか生活に限った話ではなく、仕事も恋愛も全部そうです。
時代が違うというのはものすごく簡単です。
でもそれは本心じゃないはずなんです。
「時代が違うからしょうがない」
とどこかで思っています。
もしあなたが、「時代が違う」ということを理由に何かを諦めにかかっているのだとしたら、一度立ち止まって考えてほしいのです。
あなたが今勉強している恋愛の勉強というのは、時代で変わりそうなものでしょうかね。
20年後には通用しなくなっていそうでしょうか(笑)。
断言します。
変わりません。絶対に変わりません。
なぜなら、男性心理と人間関係の原理原則のようなものをベースに僕は話を組み立てているからです。
世の中には変わるものと変わらないものがあります。
普通は「変わるもの」に注目しがちです。これは目立つからです。
変わるものを追っていると疲れるんです。
そしてその「変わるもの」というのは、本当に一時的にしか効果がないので、ある時はよくてもある時はうまくいかなくなったりするんです。当てはまらなくなるわけです。
僕がこのブログで話していることのほとんどは、変わらないことです。これに気づいている人もかなりいるはずです。
あなたが本当にしたいこと、本当に選択したいことを自分で決めてください。
周りの状況に遠慮する必要はどこにもありません。
2連続ですももちゃんのコメントを出して記事にしましたが、彼女は僕に思いっきりメールを送ってくる女性の一人で、人一倍自分が女性だと言うことに自負があります(^^
だから、彼女がスカートを嫌っているなどとは思っていないのです。
親であれ兄弟であれ、家族が、無垢な子供を支配する。
その人格形成期に不平不満を言わない、抵抗しない、自分の意志を持たない無機物のように育て上げる。
底知れずおぞましい、許し難いこと。
そうした人格形成は家庭内で決して終わらない。
社会に出たあとも人間関係あるいは性犯罪などにより、子供たちのその後の人生につきまとう。
何が起こっても家族は一見して直接の加害者ではないから、謝罪も得られない。
人格形成期に人格を否定されるということは、総じてまず第一に判断力から欠如してゆく。
生まれつき、当たり前にあるべき居場所もない。
ある意味では当然のこと。
ほとんどの場合、自分が逃げるべきだなどと思うはずもない。
やっとの思いで生き延び社会に出たあとも、人間関係の結び方がわからない。
全力で挑んでは撃沈する。
やがて自分の価値観が世界と違うことに思い至る頃、青春は過ぎて久しい。
人間は頑丈だというが、それはしかるべき地盤を持つものにこそ言っていい。
まともな自尊心を持たない人間は、そうそう頑丈ではない。
例えば家で十年耐え続けたとして、すでに精神は擦り切れている。
社会に出てからもなお、他の社会人のように何十年も使い捨てられることに耐えられないと絶望することさえある。
だからこそ、本来ならばそういった環境下の子供こそ仕事は厳選しなくてはならない。
けれども機能不全の家庭内で、まともな教育はおろかハイスキルを身につける術はそうそうない。
家から出るにはまず仕事は選べない。
そこでひとつめの挫折が待っている。
私が死に物狂いで苦しんで、血を流してでも耐えて、家族を全力で愛してる間。
世間の大半の同世代は血の一滴も流さず、恋や受験や体重の増減なんかに一喜一憂していた。
生きているレベルが違いすぎて、ふと社会を見渡した時、言葉も出なかった。
周回遅れなんてもんじゃない。
それでもスタートラインは一緒なのだ。
学がなくとも、愛されたことがなくとも、自分が正しいかどうか測る基準がなくとも。
人間関係の作り方がおかしくとも、健康な心身がなくとも、大人になれば社会人として生きることを強いられる。
女性であれば女性のふりをしなければ、男性からふるい落とされてゆく。
社会に出れば嫌でも、その絶望を見る。
だから早くに逃げるしかない。
どうやっても。
逃げ遅れれば遅れるほど、取り戻すのに気が遠くなるような道のりが待っている。
RPGに例えるならば、もうHPはゼロなのだ。
回復アイテムすら与えられないまま、社会に命からがら逃げ出る。
目の前にはすでに敵がいて、練習などない。
そのままボス戦を重ねて行かなければならない。
回復薬を飲んだとしても、過ぎたステージはやり直せない。
青春は二度もない。
リプレイは利かない。
だから、戦うか逃げるしかない。
最後の逃げは、死ぬこと。
人間は生きている間、だいたい自分のことを考えているらしい。
それでも、生まれた時から自尊心を剥奪され続けると人間は99%くらいまで他人のことを考えられるようになる。
生殺与奪の権利を奪われているから。
自分のことを考えても明日生きる保証にならない。
だから私を殺すかもしれない親、私を利用するかもしれない人、私を傷付けるかもしれない相手のことだけに注力するのはある意味合理的なことだった。
それは生き延びた後も同じ。
脳に巣食った思考と声が言動を管理し、常にメッセージを送り続ける。
たかだか小さなミスやトラブルで絶望する理由の一つがここにもある。
普通に生きるということを、教わっていない。
普通に感じる自由を知らない。
普通に過ごす術を、もたなかった。
いつでも悲壮で、孤独で、この理不尽な世界に産み落とされた怒りで狂いそうになっている。
普通の社会に適応するのは至難の業、けれどもできないことはないかもしれない。
それでもきっとができる頃には、晩年になっているだろうと思う。
結婚して、子供が欲しかったら?
今度こそ幸せな家庭をやり直したかったら?
死を間近に意識したことのある人間と、そうでない人間とのあいだに聳える、取り去り難い壁。
死に限りなく近づいて生き延びてきた人間。
死から遠い、安全な場所でしか生きたことのない人間とは思考のアプローチが異なる。
それは当然のこと。
理解されなくとも、無駄な心配だと一蹴されても。
虐待を受けてもなお、その相手に執着するのは。
取り戻したいだけではなかった。
私は私なりに親をあるべき親に育ててゆこうとしていた。
子として、傷ついた子でもある親を慰めようともした。
無償の愛し方を教えているつもりだったのだ。
子は親を愛したかったし、愛されたかった。
愛し方のわからない親も子を愛したくて苦しいのだと、信じたかった。
酒、恋愛、薬物、ギャンブルやスリル。
何かに依存するということは、生き延びることに執着しているということ。
空いた穴を埋めるための代理は、過剰にならざるをえない。
相手に暴力をふるうのは、相手に甘えている。
自分に暴力をふるう自傷行為は、甘える相手が自分しかいないだけ。
今がどうなのか、詳しくはわからないけれど。
少なくとも1990年代頃まで。
親が子どもを虐待死させた時の判決は、懲役3年執行猶予3年。
それがざらだった。
風呂場のコンクリート床に子どもの頭をたたきつけて死なせた。
殴り殺した。
放置による餓死などであっても。
罪名は大抵、傷害致死といったところ。
毎日殴る蹴るを受けながら、ニュースを見たこともある。
私もこうやって片付けられてゆくのだ。
まるで物みたいに事務的に。
そう思った。
信じがたいのは、判決の文面において「子供を死に至らしめた責任自体は重大だが、愛する我が子を失うことですでに罰は受けている」といったことが情状として当たり前に書かれたりする。
本当に信じられない、おぞましいこと。
それでもテレビや新聞、ニュースではそれが常識だった。
毎日血を流しながら、皮肉にもそういうテレビが私の目の前で流れる。
笑えない。
警察は民事不介入の原則を理由に、機能しない。
例えば近所から事前に「子供が殴られている」など通報があったとしても、まずほとんど動かない。
動くのは、子供が死んでから。
あるいはそれに準ずる重大な結果が生じてから。
それはDVやストーカー被害と同様。
今でも思う。
自分の子供を殺したなら、死刑でいい。
正論は正しい。
正しいかもしれない。
何を言っても言い訳。
自分で不幸にどっぷり浸かってゆく、面倒くさい構ってちゃん。
味わったことがないから言えるのだと私は言いたくなるけれど。
そりゃそうに決まってる。
誰もこんな思いしたくない。
だから理解する気はない。
したくもない。
私が歩み寄ってしかるべき、だって幸せになりたいのでしょう?
じゃあそこにいなければいい。
正しい。
その通り。
でも痛い。
Kouさんにまで傷付けられたと思いたくなかった。
違いますよね。
私が勝手に傷付けられたと思い込んでるのですよね。
正論では。
そうだね。
正しいね。
いわゆる「普通の家庭」で育っても、みな人は人生のどこかでつまずきます。
で、それは家族に由来していることが極めて多い。
ですから、だからこそ、
虐待をうけた子供の精神に及ぼされるものは尋常ではないと思うのです。
まず、そんな中でこんなにも自分と向き合い続けてる、それをしっかり文章としておこせる紅子さんを素晴らしいなと思います。なるほど、と頷きながら拝読しました。
この文章は、きっと同じような経験をされた方にとっては一つの道標になり、経験のない方には貴重な知識となることと思います。
ここには子供の頃に虐待された方けっこういると思います。現在苦しんでる方々の姿、子供の頃の辛い経験談、時折コメントで見かけています。虐待の恋愛における影響は顕著だからでしょうね。
学習性無力感、学習性絶望感などという言葉があるのですね。紅子さん、たくさん勉強されてきたんでしょうね。
正論かぁ…。
正しいものなんて世の中にあるのでしょうか。私は…ないと思います。
とても勉強になりました。この文章を書いてくれてありがとう。
TALさん こんばんは。
お手紙ありがとうございます。
そうですね。
みんなどこかしらでは躓きます。
だから余計に、程度問題で話されたり、違う論点で語られたり、受け取り方の問題と片付けられたり。
ではその受け取り方にすら影響があるものをどう変えてゆくのか。
そこに焦点が当たることはほとんどないのです。
そうして生き残って、幸せな人生を歩んでいる人についても私はたくさん探してきました。
どうやって変わったのだろう、どうすれば、どうしたらと。
そこには大抵、「でも私には根気強く愛してくれるパートナーがいた」「私は今も戦っているけど、彼が隣で愛してくれるから頑張れる」とか。
良いことで祝福すべきことですけれど。
そんな奇跡を全員が指をくわえて待たなければならないのか?
そうした男性を選べるだけの自尊心を身に付け、そうして向き合わなければならない男性もたくさんいて。
そういう男性を好きになったら、人生は詰みなのかと。
少なくとも私は、だからここに来ています。
私自身、忘れている部分の記憶は要所要所にあるのです。
何かの弾みでフラッシュバックすることもあれば、徐々にという場合もあり。
その度にまた「忘れていただけで…あんなこともされていた、全く忘れていたけれど、あんな、あんな…うわああああああああああ」ということも。
だから常に、本当に向き合えているかどうかはわからなくて。
それがいつもどこかで不安要素でもあり、恐怖もあり。
起こったこと全てを書くのは、さすがに多すぎるし、内容も憚られる。
けれども私は基本的に、対面の人間関係ではそれらを一切口にしないできたので。
ここにいくら書こうが、それについてもう一度辱められるようなことはないだろうと思っています。
それに説明しないと、結局私が感じたことの根拠が伝わらなくて。
対面の人間関係では、誰に相談することもないですし、実際重すぎて不可能なので、しないのです。
10年来の知人などは、さすがに何かしら気付いてはいますが。
これをいくら読まれたところで私だと思われることはないと思います。
家の外にいる私は、9割笑っていますから。
何があっても。
家庭は物差しで測れないので、私の経験が誰かの役に立つとはなかなか思いませんが。
持つべきものをもってる人が、幸せを実感するのに使ってくれたらいいとは思います。
そんな血生臭い話はみたくない、避けたい、引きずられたくない。
そういう認識でも構わない。
絶対の正論はきっと、存在しえないでしょうね。
ただここは、Kouさんが作った場所なので、彼の国。
郷に従う必要は、教えを乞う以上はいるのだろうなと。
彼は男性ですから。
男性には、本当は男性心理に則ったアプローチが必要。
何を引き出すにも。
ただ、今の私にその気がないだけかもしれません。
良くないのだけれど。
以前苦しんでいたときに、お手紙でTALさんに抱きしめて頂けたこと。
とても嬉しかったです。
どうお返事をすべきか、少しわからなくて心残りがあったので。
あのときも今も、ありがとうございます。
お返事ありがとうございます。
>家庭は物差しで測れないので、私の経験が誰かの役に立つとはなかなか思いませんが。
役に立ちますよ。
少なくとも私の役には立ちましたよ。
紅子さんの身を切った経験談や考え方の断片を垣間見て、紅子さんという人を知れたのですから。
紅子さんの経験したことは紅子さんだけの経験ですから、様々な人には当てはまりはしないけど、それでも貴重な人類の一財産だと思います。
ほんとはね、こういう悲しいことはない方がいいですけど…。でも人間てやはり残虐な部分があって、それは想像力の欠如から来てるのかもしれません。
紅子さんのコメントを読んで考える方はたくさんいると思いますよ。
もしかして自分の子供に手を上げてしまい苦しんでる人がここにいたとして、紅子さんのコメントを読んで自分で自分を救うべく動くかもしれません。
紅子さんの苦しさ、すべてを分かることなんて到底できない。けれどその代わりに、身近にいる紅子さんのような思いをしている子供を助ける人がいるかもしれません。
紅子さんの存在が誰かの光になってるかもしれません。
人間の悲しい性(さが)はなかなか無くなることはありませんから。
>家の外にいる私は、9割笑っていますから。
何があっても。
すごいなぁ。
確かにね、人と共有はできないであろうことほど人には話したい気持ちにはなりません。いくら心を込めて説明したところでその思いの大部分は本当には分かってもらえないでしょうし、簡単には分かってもらいたくないと言う気持ちも…私なら持ってしまいます。
でもここにいるから、ちゃんと分かってもらった上で学びたいから、しっかり説明をする。そういうことをないがしろにしない姿勢が素晴らしいなと思います。
>だから常に、本当に向き合えているかどうかはわからなくて。
それがいつもどこかで不安要素でもあり、恐怖もあり。
そうなんですね。その全ての痛みから目を逸らさないようにしてるなんて…。具体的にはどうしてるのでしょう。そういった記憶を思い出しては、それをどう処理してるのかしら…。思いや記憶を昇華するために、たったひとりで…。
前のお手紙読んでいただけてたんですね^^
私もよく事情を知りもしないのに、知ったような顔で書いてしまったなと思ってました。でも嬉しかったと言っていただけて良かった。
こちらこそ、ありがとうございます。
お返事うれしかったです。
この手紙にも気が向いたらのお返事で大丈夫です。
自由な空気の中で今後もやり取りできればと思います。では
>あなたが本当にしたいこと、本当に選択したいことを自分で決めてください。
>周りの状況に遠慮する必要はどこにもありません。
はい!がんばります~(^^)
Kouさんの元で幸せになります~
あまり関係ないコメントになるかもしれません。そんなのばかりだけれど(笑)
私も、周りのせいにしてることがいかに多いか。
彼が構ってくれないから、イライラしてますし。
だったら、他の人探せばいいし。
自分が楽しめること、ちゃんとしようよ。
SNSは遮断しちゃいました。
メールと電話しか使えなくしちゃいました。
私、ヤキモチも怒るのも疲れてしまって。
この普遍的な法則に則ったら、幸せ、訪れるかな、、。
うちの子が通ってる幼稚園の先生の制服はスカートですよ!
体育の授業は男の先生の担当です。もちろん、運動会や外遊びやプールの時はジャージですが、一日中それではありません。終わったら着替えているようです。
何十人も幼児をかかえてスカートの制服で、先生方の間で不満があるとも全く思えないです。
スカートで子育てが出来ない、ってことは全く無いと思います。
時代のせいにはしたくないです。
何も考えずに周りに流されたくありません。
幸せな恋愛がしたいです。
柔らかくて女性らしさがあふれる女性になりたいです。
いつも笑顔で癒しの存在になりたいです。
自分史上最高の私になりたいです。内も外も。
好きなことをして輝いている自分になりたいです。
今過ごしているこの時間、1分、1秒が、
未来の私を創っている。
だから、1分も、1秒も無駄にしたくない。
その分、なりたい自分になれる機会を失ってしまうから。
密度の濃い時間を過ごして
なりたい自分の姿に近づいていきたい。
大切な大切な時間を
大切に大切にしていきたい。
何かになりたいと思った時点で
心はそれになっているから
あとはその心に追いつくために
毎日頑張るだけ
スカートやワンピース、ロングヘアー、桃色、リボン・・・
好きやなぁ♡(笑)
なんで好きなんやろう。
恥ずかしくて、身に着けなくなったときもありました。
それは、「女」として見られるのが恥ずかしい時期だったのかもしれません。
同性の女性からの敵視、好きではない男性からの注目などがいやだったから。
今では、自分が女性になりきれていなかったことと、
自分の意思で女性らしい恰好をしているんだという意識の無さが、
恥ずかしさの原因だと思っています。
ほんとうは、好きなのに。
女性らしいものが大好きやのに(笑)
女性らしい恰好や振る舞いをしたら、
周りからも女性として扱われるのに。
無理して、我慢して、男性と同等のことをして、
なめられないように、凄いねといわれたくて、
頑張っていると認められたくて。
周りの評価や、比較は、疲れます。
自分は、ほんまは、どうしたいのか。
それは、自分の意思でやっていることなのかどうか。
それさえわかっていれば、大丈夫。
今いる環境って、自分で選んでますもんね。
私も時代のせいにしないで
自分でスカートをはいて女性らしく育児も家事もすると決めました。
元々、スカートやワンピース、ロングの巻き髪大好きですが
こうさんのブログに出会ってから
女性らしく装い振る舞うことが本当に楽しくて仕方がありません。
これからも女性を楽しんでいきたいです。
流行やリアルタイムなニュースについていくのは、苦手でした(*´-`*)
お笑い芸人や、俳優さんも知らない人がたくさん。
ニュースも、会社の人に教えてもらって知ったり。
そんななかでいつも気にしてるのは、
服とお化粧です*♪
よく、一昔前の女性みたい..と年配の方から言われます。
テレビは、禁止されていたし、ゲームも、禁止されていたから、
絵を描いたり、文を描いたり、音楽をしたり、自然を見るように、古典や名作に親しむようにと、育ててもらったから。
流されないように、吸収しながら、
イカロスのように太陽に近づきすぎないように。
お宝に目が眩まないように。
今ある幸せを当たり前と思わないように。
スカートでもパンツでも、最終的には自分で判断して好きなもの着たらいいと思うんです。
ただ、失礼を承知で書き込みますが。
この取り上げられた方のコメント文章は攻撃的で怖いです。
少なくとも文章からは女性らしさを感じられません。。
時代が違うとはよく言いますが、比較するにも、比較対象である昔に子どもだったわたしは昔をよく知らないので、「今はこうなんだよ」と教えられたら、今できることを考えたいです(^^)
>問題なのは、男親の仕事を肩代わりしておきながら、一方でそれは「やらされている」と思っている人が多すぎることです。
そして、私も含めて「やらされている」と思っている、ということにすら気づかなかったりするんだよね…。
何をやらされていると思っているのか、これに気づけたら、きっといろんなことに応用できると思うんだけど…。
慣れからの脱却は難しい。確かにそのとおり!
その時間が長ければ長いほど難しかったり…
でも、気づけば変わるチャンスは作れたことになる。
>時代が違うというのはものすごく簡単です。
でもそれは本心じゃないはずなんです。
時代が悪いから…時期が悪いから
という理由は一番最後に考えることにしてみる。本当に時代が悪い、時期が悪いということもあるだろうから。それが本当ならそれなりの動きかたを思いきって探してみることができると思うから。それを探してみようとしてるのは、逃げとは違う。現状をわかった上で、諦めないために動き方を考えるという、能動的な行動。
ダメなのは、受動的になってる状態なんだと思う。気を緩めると、環境のせいにしてしまいそうになる私はまだまだですね。
自分の子供が小さい時はパンツでしたが、このブログに出会った今、もし育てるとしたら、スカートで育ててみたいですね。
外遊びはたくさんしてきましたが、無理ではなさそう。
それに、ある程度手が離れるまでの数年間は、夫婦関係にとってすごく大切な時期だったと思います。
それが分かっていたら、きっと関係性はまったく変わっていたでしょうね。
結婚前にこのブログに出会ってる方は、本当に最強だと思います。
でも、どうしても外遊びはパンツじゃないと無理!!と思うなら、外遊びの時だけパンツに着替えるっていう選択肢があってもいいんじゃないかなぁ。
子供と遊ぶ時はパンツなのに、旦那さんのために家ではスカート、旦那さんの喜びそうなギャップ〜♡
ずっとスカートよりも、旦那さんのハート鷲掴み間違いなしd( ´▽`)♡
変わるもの=流行
確かに飽きが、、、
きますねぇ
kouさんて、あらためてすごいな!
と思いました。
ああ、つい最近時代のせいにしたね、と思った。なんでこんな社会なんだろうと。
私が父親を可哀想だと思うのも、女がこわいのも怒りを感じるのも。
そう思った感情は正当なものだったと思う。でも何かのせいにするのは、また違う問題なんだと思う。
別問題だ、これは。
きっと凄く凄くがんばってお金を稼いだんだ。あの人のいるところは常に戦場だったんだ。
いっぱいいっぱいで、私達を見る余裕なんてなかったよなあ。
私と同じで自分の人生以外に興味を、持てるものも、大切だと思えるものもなかったのかもしれない。
人生が幸せになる為に、自分以外の人を幸せにする事が必要なんだって知らなかったの?知ってたんじゃ、ないの。私達には決してしなかっただけで。
私達に何もする気がないのなら、与えるなんて思いつきもしないのなら、最初から持たなければ良かっただけだよ。
ああ、私が出来たから持たざるを得なかったんだね。かわいそうに。
かわいそうだ。家族の支えもなしに、一人で今の地位まで登りつめられたというなら、持たなくても良かったのにね、家族なんて。
そうしたら、誰も不幸にならなかったね。
私が誕生した事によって、連鎖は始まったの。
大切な事に気付けなかったばっかりに、今、孤独に生きてる。
孤独だよ、あれじゃ。
きっと、ボタンの掛け違いだった。
ボタンの掛け違いで、人の身体も心も壊せるのだから、人間って残酷な生き物だよね。
でも、私がこう思った事は、もう何も感じなくなるまで蓋をしてた方がいいのか。
黙ってた方がいいのか。
まあ、関係ないものね。私が必要なものを手にしていく為に、べつにこの振り返りは。
きっと誰かに、受け止めて欲しいだけだ。人恋しいだけなんだよ、私は。
今のところ、そういう事実があったのだと捉えてる。だからどうこうなんだ!とは思わない。
過去は過去、だ。
今、淡々と、こうだったんだなって思ってる。
ただ、私の思いや経験が、どこかで生きればいいと思う。
誰か他の人の心を揺さぶれたら、私は嬉しい。
誰かを苦しめたいわけじゃなくて、ただ。
わたしは産まれてこなければと思ってる。今もどこかで。
そうすれば、父親は孤独なんか感じる事なく、生き生き自分の人生を謳歌したんじゃないんだろうか。母は、傷つけられずに今よりも豊かに生きれただろう。私に怒りの捌け口にされる事もなかっただろう。
別に後悔してないよ。今、私は幸せよ。絵を提出した時、達成感で満たされる。その瞬間の為に、私は生きてるんだと思う。だから生きてて良かったよ。
ただ、私の中で、ああ生まれなければ両親の人生は上手く回ってたわ、と。そんな事実が私の中であるだけ。
そこに何も絶望も悲しみも怒りもない。私の中でただ事実として芽生えているだけ。
産まれちまったからには、今どう生きるかだから、実際どうでもいい事なんだけど、でもどうでもいいからって、私の歴史をどうでもいいように扱いたくないだけ。
できちゃった婚、いいじゃないか。
始まり方がどんなだって、今、生きてる瞬間が幸せなら、それでいいんだよ。世間の意見なんか気にするなよ。
私達がこうなったのは、父と母と私が、父と母と私だったから。
誰のせいでもない。しいていうなら、私が産まれたからだけど。
私は、昔からワンピースが大好き。
自分が働いたお給料でお洋服を買えるようになってから
買ったワンピースは、デザインが若すぎるかな?
と思うようなものでも、ずっと大切にコレクションしています。
私と同年代は、お子さんが走り回るような年齢の子が多く、
いつもワンピースでヒール姿の私に、
子供がいないから、そんなお姫様みたいな格好ができるんだよって
もう、何十回も、何百回も言われました。
よくよく話を聞いてみると、ワンピースやスカートを履きたい。
でも、子供がいるから。ママ友の目が…
もう何年も履いてないから、今更スカート履くなんて恥ずかしい…
と、まさにkouさんが言われていた事
キターーーーーーーーーーって感じでした。
「でも、ママ友さんだって同じ女性なのに、
スカート履くとヒソヒソ言われるの?」
「可愛い格好でね、お迎えに行ったり学校に行ったりすると
あの、ヒラヒラ格好したお母さんって言われて
子供もそういう扱いを受けるんだよ?」
「……ソウナンダ…」
あと、着慣れていないから、たまに着てみると
不自然になっちゃう。と、
これまたkouさんが言われていた通りの事を言っていました。
自分で選んでるいるとはいえ、
たまにはリハビリ的に着てみる事も大切なのかな?と思いました。
世の中に、スカート姿の女性がもっと増えるといいのになぁ。
私はスカートとワンピースが大好きなので、もしも子供ができてもスカート着たいです。
スカートやワンピースではできない子育てや育児があるなら、それは優しい旦那様にお願いしたいです。
そういうのって甘いのかなあ…w
でも「あ、これはお願いしようかな」って思う判断材料になるのならいいと思う。
そして、全部私がやらないとって思うより、これはお願いしようかなって思える余裕がある夫婦関係がいいな。
私の住んでるマンションも子供だらけで、そこらじゅうで走り回ってます(笑)
夜になればバッティングの練習で一生懸命素振りしてる男の子もいます♡
たしかに、その子たちのお母さんは100パーセントの確率でパンツスタイルです。。。
そしてみんなパンツスタイルだと、誰が誰だか見分けがつかないです。
スカート、履けばいいのに♡
カジュアルな素材でザブザブ洗えるスカートだって、今たくさんあるのになぁ~?
(・ω・ ⊃ )⊃≡すぃー.☆.。.:*・°
私はここに、Kouさんのお話を聞きにきています。迷ったときは、その事を思い出そうと思います。
恋愛ではなく、仕事上のお客様への人間関係でうまくいかない事案が発生しました。
そういうひと、考えの人が増えている、そういう時代なんだからそういうふうに対応しないとダメなんだよと上司に指導をうけましたが
これもやはり逃げなのでしょうか?
私にとっては不本意です。でもビジネスは別でしょうか?
この不本意を乗り越えてまで自分が手にいれたいものはなんなのかふと考えました。
今の仕事をして今後生きていくのか、何のために働くのか悩んでKouさんのブログの中を「人生」と入力して検索しまくっています。笑
恋愛だけじゃなく、人間関係に置き換えてもこのブログの内容が入ってきますね。
「落ち込んだ日は美味しいケーキでも買って食べなよ」と励ましてもらいましたが
Kouさんの言葉ひとつひとつがそれ以上の効能がありそうです!!
初コメントです。
悩ましい話題です。
私は男性とともに男性のように仕事をしてきました。
しかしやはり女性の幸せは女性らしさが必要なのです。
今日、男性仲間として飲みに行った男性が求めてきました。
いっつもそうです。
男性はいざという時に言い寄ってくる。
彼氏以外信じられないのですが、今はその彼氏の私への価値観を見て辛くなります。
私は仕事、プライベートどうバランスを保って生きていくべきでしょうか。
時代とは違う話ですが。
ハンドメイドが流行っていて大勢の人ががやっているから、私がやってもどうせ埋もれてしまってきっと駄目だろうなあと決めてしまうのは勿体ないんだろうなと感じました。
自分がやりたいことを自分の意思で続けていた人が何かを変えたり新しいものを作ったりしてますね。
私はスカート・ワンピースが好きで、毎日でも履きたいです。
でも、環境が許してくれません。
何故か。
研究内容がスカートでは行えないからです。
それ専用の服があり、スカートの上からは着れません。
ガンバればどうにかなる、というものでもありません。
物理的に不可能です。
私は、休日にはスカートを履きます。
ワンピースを着ます。
それでも私は、「環境に甘んじている」ことになるのでしょうか?
そもそも、私もふくめ、
頭の固い真面目な、恋に悩む女性の、
頭を、たくさんの記事で徐々に柔らかくしてくれるのが
このブログなのでは、と思います。
だから、自分の状況や環境だけをきりとって、
「これはどうなの」
「それはあてはまらないでしょ」
…それが、頭かたいってことなんですよねー(苦笑)
もっと俯瞰的にみましょ、ってこと。
私、ここにきてからね、肩こりや頭痛が激減したんです☆
リラックスしましょ。
そうすると、見えなかったものが見えてきますから。
スカートをはいているからこそ女性としての意識も保たれる。
そういうことがあるのではないでしょうか。
いつもきれいにしておけば
急に彼と会うことになっても慌てなくて済みます。
だけれどデートの時だけかわいくしてればいっか☆は
絶対ぼろが出ます。
普段からスカートを履いていないのにたまに履こうとするとぼろが出る。
そのぼろというのはもしかしたら女性としての意識の無さなのかも。
いつもはパンツ等の恰好でも
日によって女らしい恰好を抵抗なく出来ていれば問題はないと思いますが
やっぱり「傾向」ですよね。
子供の頃から父親や弟のお下がりしか着せてもらえなかった女性の記事を読んだことがありますが
可哀そうになるくらい「女性の洋服」が着られなくなっていました。
普段から着ているもので女性は染まっていくのなら
やっぱりスカートやワンピースに染まりたい。
うーん確かにそうだなと思いました。誰もがそんなに強くはないです。一度母親(誰かがそうしろといったわけではないんだけど)の装いになってしまってから戻れなくなる、そういう人は多いんじゃないかなと思います。私の母も含めてです。私も、今はスカートにメイクにと、きれいにすることを許されている環境ですが(変な言い方だけどこのままにします)、それをいつのまにか、自分で許されないものに変えてしまうかもしれません。だから、習慣の力は大きいのだと思いました。
時代は早いスピードで変化しています。
でも、人の細胞がそれに合わせて変わっていくわけではないですものね。
だからこそここで男性心理や女性としての在り方を勉強しているわけです。
子育てをしていないわたしですが、子供を取り巻く世界は変化しても、子供そのものが変わっているわけではないですよね。
むしろ変わらない人としてのその真理を親が体現することで、男女のあり方、家族のあり方などを子供たちも学ぶのではないでしょうか。
スカートをはいているけれど、できる限りのことをして子供に寄り添う。それを補う父親なり、他の男性なりを見てそういうものを習う。
子供たちが読む絵本やおとぎ話が普遍なのと同じことですよね。お話と現実が違う方が迷ってしまいそうだし、本の世界のお話になってしまいますね。
お話の世界と現実がイコールならば、子供の心にも素直に届いてくれる気がします。そして、自分にとってもそれが当たり前になっていくのではないでしょうか。
そんな風にしてみたいです。
普遍的なものは存在します。
普遍的なものは人の心から決してなくなることはありません。
創作も、人に響くものは大概決まっていてそれを手を替え品を替え提供してるだけなんですよね。その演出の仕方がクリエイターの腕の見せどころなのですが。
普遍的なものを抑えておくだけで人心は掌握できる気がします。
私の母は全くスカート履きません。本当に喪服くらいです。
小さい頃からパンツ姿を見なれてるせいか、
母親=パンツくらいの思考回路が出来てました。
スカート嫌いなのーって言ってたけど、
独身の頃は普通に履いてたと思います。
きっと母は子育てし始めてから、パンツになったんだろうな。
髪も長かったのに、私が物ごころついた時には既にショート。
ちょっと母に申し訳ない気持ちになりました。
私は結婚も子育てもしてません。
なのに、何でパンツばっか履いてんだ?!って自分に怒りが(笑)
スカートやワンピースをいつでもどこでも好きな時に、
好きなように履ける環境に自分がいることが改めて分かりました。
だからもっと履こうと思います。
時代のせいとか環境のせいにしちゃダメ!
何かのせいにできると、楽なんですけどね。
上手くいかないことを何かのせいにするのではなく、ひとつひとつ取り除けばできるはず。
「やらされている」
時代のせい、環境のせい、会社のせい、親のせい…
全部同じやん・・・
きらーん☆
いつでもどこでも、主体性。
自分の人生、自分が主人公。
色々、勝手にこねくり回していたとある殿方との関係が、シンプルに、かつ、
また一段階濃厚になりまして、
そこから何か楽しいことが生まれそうな予兆です♪
(恋愛面で濃厚というよりは、根本の人間関係が濃厚になりました)
さあ、新しい恋愛も、楽しくやっていこー☆
一週間忙しくしていたら、今日、無事に繊細な彼から返信が来たし♡
ここのところ、先人の教えは理にかなっているなぁと実感することばかりです。
地産地消や季節のものを頂くこともだし。
流行についてですが、皆がやっているとただ流されているのと、自分の意思を吹き込んでいるのとでは意味合いが全然違ってきますね。
人の家庭に口を出す立場ではないので、読んでいて思ったことを、残します。
私は運動も好きですし、スカートも好きです
なので、そんなにこだわりなく公園で遊ぶ時はパンツもはくし、レギンススカート。
お出かけでフレアスカートにレースのふりふりのくつ下とか好きでした。
けっこう、 無意識に自分で選んでたと思います。
記憶があまり無い保育園、幼稚園ではミニスカートのふわふわしたスカートでリボンのついたくつ下。お遊戯とかの写真もスカート。
母親の好みだと思うのですが、お母さんも家でもつねにスカート
大またになったり、あぐらをかいた写真は一つもありません。
全部、一目で分かる女の子でした。
その用途で使い分ければそんなに気にしなくていい気がするのだけれど、自分が、子供が好きなのを履いたらいいと思います。
ですがしぐさや周りの反応は明らかに違いますね。
自分が女の子でいれるスカートを履いた自分が好きでした。今もそれは変わらないかな。
仕事では体を動かすスポーツの仕事してます。
パンツにこだわらなくてもそんなに関係ない気がします。
小さい頃ブランコ大好きで、もちろんスカート、パンツに関係なく乗っていました。
はて、どうやってパンチラならないようにしてたっけ?と記憶を辿ると、
立ち漕ぎに徹する!
または、太ももでスカートを挟んで乗る!
器用にこなしてたもんだなーとw
うちの娘たちは馬跳びも縄跳びもドレスでやってました〜。下にショートパンツ履いたっていいですし、レギンスもありますし、女の子はやっぱりやんちゃでも着やすいドレスで大丈夫です。
襲われたり誘拐されたら困るって言って絶対ピンクやスカート履かせないっていう親もいますけど、そういう子供に限って、可愛いカッコしても、ナイナイ!心配しなさんな!って言いたくなるような感じです。
うちの下の娘、吹奏楽の演奏会の服、白いトップ、黒のボトムってあるんですが、中にショートパンツはくの忘れてて、前のグループが終わるまで待っている間にパンツ丸見えであぐらかいて座ってたことがあったのですが、周りも気にしないし親が何も言わなかったからか誰も気がつかず無事終了。ネガティブなことに変に意識しない方がうまくいくというか。
このページ凄。何年も前の記事だけど面白かった。
子育てが一段落しました。
子育て中にKouさんのブログに出会っていたらスカートはいてたと思います。
服装を今までのパンツからスカートに変えるのは少し照れます。照れずにスカートをはける人って羨ましいです。
まわりの人からも『スカートなんかはいてどうしたの?』とか言われそうなので面倒。
でも、やっぱりスカートもはきたい。
スカートをはいたら、女らしく振る舞えます。そんな単純な自分が好きかな。
周りに流されてたら、得られるものも得られない。
とにかく外に出よう。
外に出ないと人にも出会わない。
どうしよう、どうしよう、と思ってウジウジしてましたが。
桜を見がてら、某お祭りに、1人だけど、行ってきます!
ただ、向こうはお仕事中だから、こっちから頑張って話しかける必要があるという……。
あまり、気を張らずに、まずは楽しんで、行ってこよう!
今、この記事を読んでみました。
コロナの時代、、。そんな風になりそうですね。
戦争は身近にないけど、災害も多いしコロナもあって、地震も来るかも知れないし、周りの環境は目まぐるしく変わってる感じがしてます。
でも負けたくはないです。
環境になんか振り回されたくありません。
もちろん、今の状況でできない事はあるけど、その中で出来ることを探していきたいです
スカートとワンピースずっと意識して着てるけど、好きになった人がスポーティーな感じが好みなの気がして、フェミニンな私のままでいいのかな?と思っています。
でも彼のために自分を変えるのはなんだか違うと思うし…
でも彼の私の好きなところっていうのが、元気で楽しいからって意見からしても、フェミニンは印象良いのかなぁーって少し気後れしてしまう今日この頃です。。
んー?
このコメントの人は時代のせいで自由に子育てできないなんて書いてないと思うんだけど。なんかすごくねじ曲げてとらえてるような。
むしろ変わっていく時代背景に即して、その中で自分のしたい子育てを実現するのにはズボン履くことが必須だから、期間限定でやってるよ、ということですよね。
そういう対応ができること自体、女性らしい柔軟性があるということなのではないでしょうか。制限がある中で自分なりの工夫をし、やりたいことを実現していくクリエイティヴィティーは子育てには必要不可欠ですし、女性ならではの創造的な長所が生かされるポイントだと思います。
人生の中でズボン履いて思う存分子どもと関わることが優先になる時期があるのも、女ならでは。いや、むしろ女を忘れてないというか、女であることをまぶしいくらい存分に楽しんでいるように思えます。独身の女の子のなかにも、そんな幸せそうな女性の姿に憧れる子、多いと思いますよ。
ズボン履いて子どもと思い切り身体を動かして遊んだら、それは母親じゃないの?父親なの?よくわからない理屈。自分の子どもとめいっぱい遊ぶのって幸せを実感できる時間だし、キラキラした目で笑う子どもといられるのは何より楽しいことなのにな。父親だけに任しとくなんてもったいない。それこそ、時代が変わっても母親であり、女である限り変わらない喜びのはずなんだけど。
記事のコメントの方も言う通り、論点は子どもがいるいないじゃないですよね。時代のせいにして女であることを捨ててるとかでもなくて。
kouさんて、苦しい理屈をつけて何としても持論を曲げないんだな〜って頑なな印象を受けてしまいました。
この記事、今まで読んだことなかったみたいで、
初めて読んだらコメントがすごく怒ってて笑いました笑
なんというか…マウント感が…笑
たぶんすももさん、自分がやってきた事を全否定された気になってしまったんでしょうね。
なので「やったことのない育児に関して、どうしてKouさんが意見できる?私は正しい!!」と主張したかったのかな。
たぶんKouさんはすももさんのコメントを題材にして、世の中の女性に対してメッセージを送っているだけなんですよねいつも。どの記事でも。
でもコメントを取り上げられた本人は、さも自分が間違いを指摘されたと思い込む。
私は独身で子供もいませんが、フレアスカートで掃除機かけてもスカートは吸いませんよ笑
不器用なのかな?笑
年を取ると男も女も周りが見えなくなっちゃうんですよね。