
←この記事をお気に入りに追加します。あとで読み返せます。Kouです。
昨日はちょっと立て込んでいて、ブログを書くつもりでいたのにできませんでした。
さて、先日のこちらの記事で、気になるコメントがありました。
かいえさんより:
面白いたとえですね。
考えてみてほしいのは
他人は他人の都合があるということです。自分がアクセル踏み込めば
なんでもかんでも思い通りになると
思うのはいかがなものかと。人は他人との関わりをもって
社会で生きています。自分が勝手に相手を見て
勝手にアクセルふむのは
違うと思います。自分の勝手を
勝手に選んだ相手に押し付けるのは
違うと思います。自分がやられたことを想定してほしいですね。
私も
勝手に好かれて
勝手にプレゼント押し付けられて
とても嫌な思いしました。どんなに愛してると言われても
こちらは愛せないので
迷惑なだけです。それと同じことを相手にしないことが
いいと思います。勝手にアクセル踏み込んで
大事故に巻き込むのは
違うと思いますね。
これは、かいえさんの言いたいことはよく分かります。
自分がされて嫌なことは他人にはしてはいけないとはよく言われます。
コメントをしてくれている方の中には、アクセルを踏むことは猛アプローチをかけることとは違うということを説明してくれている人もいますね。それもその通りです。
アクセルを踏む、ブレーキを離すというのは、自分にかかっている心理的な制限を外して、思うように行動することです。
その行動というのは、箍が外れたから彼に猛プッシュするということではないのですね。
僕が今回話をしたいのは、「他人の迷惑」についてです。
多くの日本人は、これを無意識に考えてしまいます。
「他人に迷惑をかけてはいけない」
それはそうです。迷惑をかけてはもちろんいけません。
親から、あるいは学校の先生から、「自分がされて嫌なことは、他人にもしてはいけない」と教えられました。
僕もそう教わりました。
もちろんそれは正しいと思うのですが、いきすぎもまた大きな問題なのです。
「他人の迷惑」を考えるあまり、それによって無意識に自分の行動を制限しようとしてしまうのです。思い当たる人はかなりいるんじゃないでしょうか。
僕もありますよ。会社員のときは特にそうでした。
先輩に相談するときも、「迷惑にならないか」を常に考えてしまっていました。こういう人はかなり多いと思います。
よく考えて見てもらいたいのですが、実は「自分がされて嫌なことは他人にしてはいけない」というのは、ちょっといきすぎていると思うのです。
自分と他人は別の人格です。
あなたが迷惑だと感じることは、必ずしも相手も全く同じように迷惑だと感じるかどうかは分からないのです。
だからといって自分が迷惑だと感じることでも、他人に対してなら無条件にやっていいとは言いません。
でも、必要以上に相手の立場になって考えることは、悪い面もあるのです。
慮ること自体が「余計なお世話」という場合もあるかもしれません。
相手は自分ではないのです。
迷惑と感じるかどうかは、相手が決めることです。
このものすごく単純な原則に気づくと、あなたの人生はかなり立ち回りやすくなります。迷惑だと言われたら初めてやめればいいのです。
自分の行動が他人に迷惑をかけるかもしれないことを、いつも必要以上に考えるのはやめましょう。
迷惑はかけない方がいいです。
でも迷惑かどうかはあなたが決めることではないのです。
あなたが迷惑だと思っていることも、相手にとっては実はしてほしかったことだったりするかもしれないのです。
やってからでもリカバリーはできるのですから、やる前から「迷惑になるに違いない」と思ってやめてしまうのはもったいないですよね。
迷惑かどうかは相手が決める
私が迷惑だと思っても、相手にはそれをしてほしい場合もある
迷惑だと言われたらそこで初めてやめればいい
そこからリカバリーもできるのに、やる前からやめてしまうのはもったいない
これ、彼と私の関係にとても当てはまります。
私が良かれと思ってやったことは大概裏目に出ると思うときがあります。過去のいくつかの経験から、誰かに喜んでもらいたい・役に立ちたいと思って行動すると、迷惑がられたり、重たがられたりする傾向があると思うときがあります。
他人に無関係でいる方が、自分も傷付かないし、助けを求められたときだけさりげなく手を差し出した方が、人からの信頼は得やすいように思ったり。
昔に比べて、助けてもらうのはだいぶ好きになりました。未だに、この人には助けてもらいたくないと思う人もいます。
そういう相性の人もいるのかなと思います。
私の親切心を喜んで受け取ってくれる人もいる。
そういう相性の人を大事にしたら良いと思います。
【あなたが迷惑だと感じることは、必ずしも相手も全く同じように迷惑だと感じるかどうかは分からないのです】
なるほど…
私から見て自由に行動している人の多くは、この原則を理解しているのかもしれません
自由だと思う人は、人に気軽にお願いをしたり、フィードバックをしたり、人の内側に踏み込んだ会話をしたりします
私は自分の行動が他人の迷惑になると思ってしまい、本当に何もできませんでした
人に対しての行動は何も、です
自分からの会話、コミュニケーションにつながるような世間話・無駄話、相手の直した方がいいところを相手に言う、相手へのお願いなどなど
そういうことができる人を、自分とは別の人間だと思ってました(^^;)
考えてみると、人から頼られることも、お願いされることも、コミュニケーションを取ってくれることも嬉しいんです
無意識に縛られていた鎖を解いていこうと思います
職場女性の話ですが、私にばかり仕事をやらせようと、頑なに動かない人がいました。でも、観察すると、他の人にはそうでもないんです。ペアを組まされる時は、地獄でした。完全にナメられてるなと察した私は、対面で、「それ、人を見てやってますよね。貴女と組むのしんどいんです。もし違うなら、今ここで反論して下さい」と言いました。反論はありませんでした。それからのその人は、まぁ動く動く動く。動けるんです。何故か、その女性にとって私は、こいつにやらせとけばいいというカテゴリーに追いやられたみたいです。私はそんな事許可してないのに。自分を不当に扱われた時は、反論しないと!と思った出来事でした。あと、違う女性ですが、私が今してる仕事を、手伝ってくれようとする女性がいました。でも猛烈に忙しい現場なので、「ここは大丈夫だから、あっちをやって下さい」と言いました。時間で動いてるので、全体を見ないと、仕事が廻らないんです。その女性は、手伝わせてくれない、と、ションボリしてました。私にとっては、私を手伝って貰うよりも、手薄になってるあっちをやって貰う事が重要なんです。私はそんなに、人とワイワイやらなくても大丈夫タイプですし。でもその女性は私のようなタイプではありません。出来る範囲でその女性の好意は受けとるようにしましたが。勿論時間にゆとりがある時は、私だって頑張ってワイワイしましたよ。好意を持ってもらえるのは嬉しい事ですし。思ってる事が違う人(違って当たり前ですが)とやっていくのは、難しいなぁと思った出来事でした。
これ、kouさん、めちゃくちゃ悩んでいたから、
ありがたかったです。
コミュニケーション問題なんかな、とかとも絡めたら、
かなり、苦しくなってきますが、
あ、このくらいのスタンスでいても、
いいんだって思ったら、気楽になりました。
もちろん、配慮はした方がいいですが、
行き過ぎると、何もできなくなりますもんね。
気楽になれるのが、一番の幸せです。
迷惑かどうかは、あなたが決めることではない
なるほどです。
自分が決めること自体、自我が強すぎと
感じました。
学びに感謝。
友人とkouさんに感謝。
こういう話題で思い出す話が二つあります。
一つ目。
「老婆親切心」という言葉。
おばあちゃんのように親切すぎてちょっとおせっかい。
「相手にこうしてあげたほうがいいのではないか」「自分はこうしてあげたい」
みたいなものと、
相手がどう受け取るかのバランスは難しくて、
おばあちゃんはちょっと押し気味( ´∀` )笑
でもまあ、押してダメだったら、ちゃんとすぐに引っこめればいいし、
おばあちゃんはいろんな苦労を経験してきて知っているからついつい
他人の苦労を前にして、おせっかいも多くなってしまう。
自分の心が正しいと思うところを出していけたらと思います。
人に、違う、といわれたら、その時は引っこめてみる。
二つ目。
ヨーロッパの美術館の売店で、
記念切手を買おうと並んでいて、自分の番が来ました。
窓口で、どれにしよう、と迷って時間がかかっていると、
後ろに人の列ができてきて、
どうしよう、早くしないと、と焦る私。
でも店員さんが、一言。
「あなたの番なのだから、気にせずゆっくり決めていいのよ。」
・・・個人の自由とか個人の主張とか、日本でもいうけれど、
やっぱり輸入物の思想だなあ、
やっぱり本場の「個人」のとらえ方はちがうなあ、
私はやっぱり日本人だ、と思った次第です。
日本では、やっぱり集団ありきなところが
良くも悪くも、あると思います。