
←この記事をお気に入りに追加します。あとで読み返せます。Kouです。
「私は幸せになってはいけない存在です」
・・・と言ってくる女性はあまりいませんが、
「私には幸せな恋愛をする資格がありません」
という女性は意外とたくさんいます。
あなたはどうですか。さすがにここまで強烈ではないかもしれませんが、ちょっと心のどこかで思っていたりしませんか。
「私は恋愛には縁がない」とか、「私の人生には幸せのチャンスはない」とか(^^;
こういうのは、もはやちょっとした呪いみたいなものだと思うんです。
呪いなら、解くしかありません。
こちらの記事で自分を許せないことについてコメントを書いてもらっているのですが、やっぱりかなり出てきますね。
「Kouさんが書いてほしいと言ったから出てきているんでしょう!」
と思うかもしれませんが、もちろんそうです(^^;
いいんです。
あぶり出したいんです。
こういう機会でもないと、なかなか出せないでしょう。
ぬばたまさんより:
お腹や胸の奥が重くずきずき痛む記事だった。
わたしも自分を許すことが難しい。
許すこととが「できない」と言うこともできるかもしれないけれど。自分が深く人を傷つけてしまったことへの罪の意識がもう十数年以上ある。
それを綺麗さっぱり無くして、前向きに明るく楽しく幸せに♪を目指しているわけでもない…というか、そういう気持ちになかなかなれない。被害者意識もかなり強かったが、ここ数年は自分の加害者性や過去の過ちに苛まれている。
だからまぁ、「こんな罪深い自分が幸せになっていいわけがない、なれるわけがない」という信念を固く握りしめているわけです。
それを手放せばいいんだよと人は言うかもしれないが、それが簡単にできたらここまで苦悩はしないよと思う。
心が健やかな人から見たら鬱陶しいだろうけど。。女性の価値云々の前に、わたしは自分のことを「人として欠落した罪深い存在」とまで思っている。
でもKouさんのおっしゃることは嘘ではないと信じてはいて、あとは自分がどこまで自分を許せて信じられるようになれるか、なのかなと思う。ゆるせない自分をゆるす
ゆるせない自分をゆるせない自分をゆるす
できないときはもうそれも手放す。
ゆるせないならゆるせないままにしておく短期間で華麗に美しく変容できる人もいるかもしれないけれど、わたしはじめじめのろのろうだうだ鬱々としながらでも諦めない。
非常にイメージしやすいコメントです。
これと同じような事を考えている女性は結構たくさんいるんじゃないかと思います。
わざわざこうやって書いてもらっているのは、こんな感じで自分を責めている人というのは自分以外にもたくさんいて、実はみんな悩んでいるということを知ってほしかったからです。
本当は苦しいんです。
やめられるものならやめたいんです。でも、やめ方が分かりません。
許し方が分からないんです。
分からないのは、自分を許してはいけないというのが、強い信念になってしまっているからです。
ぬばたまさんのこのコメントで言うと、いくつかポイントが見つかりますね。
その一つが、「罪」です。
実際は、何か罰せられるような大罪を犯したりしたわけじゃないと思うんです。
ほとんどがそうです。
自分でそう思っているだけです。
自分で罪を背負っていて、それは死ぬまで一生背負い続けないといけないというくらいに思い込んでいる場合もあります。
この状態で、いくら前向きなことを言われても教えられても、なかなか浸透しないと思うんです。
サプリメントとかと同じですね。
身体に毒素が溜まっている状態では、どれだけ素晴らしいサプリメントや薬を取り入れたところで、ほとんど効能を発揮せずに毒素に飲まれてしまうんです。
本当に効果を出したかったら、まず毒素を除去する必要があります。
デトックスみたいなものですね(^^
「女性の価値云々の前に、わたしは自分のことを『人として欠落した罪深い存在』とまで思っている。」
これはですね、よく分かるんです(^^;
僕自身も自分で思ったことが何度となくあるからです。
ひどくなると、食事をするのでも「私なんかが食べていいのだろうか」と思うようになったりします。
こんな状態で、人から愛される資格があると言われてもなかなか受け入れられませんよね。
ちょっとだけヒントを出しておきます。
罪って、消すことができないからなおのこと難しくなると思うんです。
許すというのは、必ずしも罪を帳消しにすることではなかったりします。
消すことができないものを、一生に渡って厳しく責め立てるのは、本当に大事なことなのかどうかを考えてみるといいですね。
これだけでもかなり楽になるんじゃないかと思います。
あなたはぬばたまさんのように自分は罪深いと思い込んでいる女性に声をかけるとしたら、どんなことを考えますか。
まずは自分ではない誰か別の相手に声をかけることを考えると、自分に対する接し方も分かるようになるかもしれません。

自分の事で言えば、
自分の犯した罪も引き受けて、それでもここから生きていく、生き直していく、という事かと思います。
許す、というよりは…
もっとキビシイのかも。
自分に優しく、許す場合も、
自分にキビシくする場合も、
取る態度は同じかも。
世界に向かって自分を開いていく、
自分を委ねる、自分を差し出す。
罪を犯したなら、自分の罪に目を向けているのではなく、世界に対して罪を償う必要があると思います。
許すのとキビシイのの中間の時だけが、
世界から閉じこもって、自分には価値がないと言うことができるのかもしれません。
たしかに…
罪を背負っていかなくちゃいけない、と思い込んでいたら、人の言葉もはじいてしまいそうです。
自分自身は、こういうふうに感じていないけれど、とてもデリケートなことがらです。
罪深いと思っていることは、人それぞれみな違う尺度であるだろうから、
何が許せないのか、教えてもらうことから始める、かな。
人は、不完全なものだから、
罪深いなどと感じたことは、その先につながるものだと思います。
相手の心からも、あなたの心からも、
罪は消えないかもしれない。
でも罪の償い方を、自分が不幸になる事だと思っているなら、それは違うかもしれないよ。
相手はあなたが不幸になったら、幸せになれると思う?本当にそう思う?
そんな事はないと思うよ。
誰かの不幸の上に、幸せは成り立たないよ。
私は傷付けられた事がある。でも、傷付けてきた相手に対して、不幸になって欲しいと思って生きていない。
私の幸せは、傷付けてきた相手とは別の世界に見つけるから。
ずーっと四六時中、恨んで、憎んで、不幸になればいいなんて、考えてないよ。
私がせっかく幸せを見つけても、その傍らで、傷付けてきた相手がずーんと暗くなっていると、逆にもう開き直ってくれよと思う。せっかくの明るい幸せに暗い影が入るだろ。やめてくれよと。
あなたも逆の立場だったら、たぶん、そう思うんじゃないかな。
相手の幸せに影を落とし続ける方が、罪が深くなる気がするよ。
だから、自分を過剰に責める必要は無いんじゃないかな。やめなよ。
気付いて繰り返さないと決めたなら、それを地道にやっていけばいいんじゃないかな。
私なら、こう言う。傷付けられた事あります。私の方も傷付けた事あります。
みんな、何かしら罪はあります。
消えないけど、だからと言って濃くしたり、深めていく必要は無いと思います。
この記事を読んで真っ先に思ったのが
『罪の内容』とは?
でした。
内容によるなぁと。
人からしたら罪とは言えないようなことで罪深いと思ってしまっているのか、本当に重い罪を背負っているのか。
どちらの場合も根深いですが、内容によってアプローチが全然変わるなぁとは思います。本当に罪深いことをしたなら背負っていくべきかもしれません。思い込みなのだとしたら治療が必要かもしれません。
内容と度合いによるなぁ。